西田ひかるさん(53歳) 芸能界へのきっかけとは…「10代のデビューから20代は挑戦し続けました」
アメリカで育ち、10代で芸能界に飛び込み、歌や芝居、バラエティと多方面で活躍してきた西田ひかるさん。20代で走り抜けるように仕事をし、29歳で結婚。子育てを経て50代を迎えた今、芸能界デビューから忙しかった10代~20代のお話していただきました。
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西田ひかるさんProfile
1972年生まれ。生後まもなくから13歳までロサンゼルスで過ごす。帰国後はバイリンガルの才色兼備タレントとしてデビュー。歌手、女優、タレントとして幅広く活躍中。プライベートでは2002年に結婚。2児の母でもある。
2025年12月30日~2026年1月4日明治座で上演
Thank you very マッチ de SHOW『ギンギラ学園物語新春!再びマッチでーす!』に1月3日、4日に出演予定
ダンスが好きな少女が芸能界デビュー
ーーSTORY編集部(以下同))芸能界にデビューをしたきっかけは?
私は父の仕事の転勤で生まれ10か月からアメリカに住んでいました。もともとダンスが大好きでロサンゼルスに住んでいたので、女優さんや役者さんの卵が通うような本格的なスタジオに習いに行っていました。日本に帰国することになって日本でも「どこかいいダンスのスタジオがないかな」と探していて。いろんな人に相談しているうちに、今の事務所と知り合ったんです。私はてっきりダンススタジオを紹介してくれるのかと思っていたんですが、「タレントとしてやってみない?」という話になって。13歳のときでした。「ダンスを習うだけなのに覚悟って必要なの?」なんて思いながらも、話は進み、それが芸能界との出合いになりました。
自分が出る側になるなんて夢にも思っていなくて、ただ趣味の延長でできたらいいなぐらいの気持ちで始めたんです。最初は、歌や踊りができてミュージカルに出られる人に憧れていて、そういうことができたらいいなと思っていました。最初のお仕事がハウスのファミリーミュージカルでした。同時にCDデビューやラジオもあって、アイドル活動も始まりました。「何をやりたいか」というより、「こういう仕事もあるんだ」という発見の連続で、与えられたことを必死にこなす日々でした。

アイドルなのか女優なのか迷った時期も
ーーデビューしてから忙しかったと思いますが
10代はとにかく必死でしたね。ついていくのが精一杯で、それでも一生懸命やって、もしダメだったらアメリカの大学に行こうかな、と考えていたくらいです。高校卒業のときもアメリカの大学に行くか悩んでいたら、事務所に「何言ってるの、これから仕事でしょ」と言われて、「あ、そうか」と。そこから少しずつ仕事が軌道に乗っていきました。気がつけば、続けることが当たり前になっていて、いつの間にか仕事がたくさん来るようになっていました。いろんなお仕事をさせてもらえるのが楽しくて。時々、「私はアイドルなのか、女優なのか、歌手なのか」と迷うこともありました。
英語が武器に
ーーバイリンガルのアイドルとして注目されていましたが
バイリンガルということで、海外アーティストとお仕事させていただける機会も多くありました。小さい頃から英語が日常だった一方で、日本語はたどたどしいところがあって、それでいじられキャラになることもありました。でも、それも一つのキャラクターとして仕事をいただけたことも。英語が話せたおかげで、音楽祭の司会で海外アーティストと共演できたことは、すごく良い経験でした。

苦手なことも挑戦し続けた20代
ーー20代はどんな感じでしたか
20代に入ると、私は仕事の選び方を少し変えました。それまでは「これは自分に向いてないかも」と思う仕事も、とにかくやってみよう、と受けるようになったのです。歌も芝居もバラエティも、最初は自信がなくても、挑戦するうちに少しずつできることが増えていきました。
人と一緒に仕事をすることがとても楽しく、毎日違う現場で多くの才能に触れることは刺激の連続でした。もちろん、歌はまだまだ、芝居もまだまだ、トークも未熟。それでも、「もっと上手くなりたい」と思って続けていました。
こうして振り返ると、10代から20代にかけては、とにかく流れに乗って走り続けていました。選んでというより、与えられたものに挑戦して、その中でできることを増やしていった時期だったと思います。

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撮影/沼尾翔平 メイク/佐藤トモコ スタイリスト/(有)花子 取材/山﨑智子
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