東尾理子さん「”妊活”に対してネガティブな意識は全くありませんでした」
東尾理子さんが2009年、石田純一氏と結婚され、お子さんを授かるために自身のブログでクリニック通いを詳細に公表されたことは当時の社会に大きな衝撃を与えました。約12年前といえば妊活という言葉もなく、妊娠とは神聖なもの、それゆえ子どもを授かるための治療について語るのはデリケートな問題といった牽制や分断が根強く、不妊治療は一部の人々が限られたコミュニティや情報の中でひそかに努力しているという認識で捉えられていた部分が多かったのです。そんなクローズドな空気感の中、TGP(Trying to Get Pregnant)つまり「不妊治療ではなく、妊娠しようとがんばっている」という造語を世に送り出すほど妊娠に対してポジティブな思考と歩みを止めなかった東尾さんのオープンな働きかけによるムーブメントが、昨年4月からの「人工授精などの一般不妊治療、体外受精などの生殖補助医療に対して保険適用される」という法改正実現を引き寄せる一助になったと言っても過言ではないような気がします。
そこで現在三人のお子さん(10歳、6歳、4歳)のママである東尾さんに改めて、妊活に前向きになれた「本当の」理由やTGPの活動、今後の目標、今妊活中の方に向けてのメッセージをうかがいました。(全3回の第1回)
東尾理子さん
1975年、11月18日、福岡県生まれ。プロゴルファーとして活躍後、現在はゴルフ解説以外にもバラエティ番組やCM出演など、多方面で活動中。2009年、34歳で石田純一氏と結婚。妊活のために2010年から産婦人科に通い始め、人工受精を試し始めた2011年にTGP(Trying to Get Pregnant)ライフという独自のワードを発表。日々の暮らしをつづったインスタグラムも人気。
@rikohigashio
https://instagram.com/rikohigashio
石田家妊活ヒストリー
2009年12月 結婚
2010年4月
産婦人科に通い始める
タイミング法8回→人工授精6回
2011年6月
ブログでTGPライフを発表
2011年7月
転院後、体外受精1回目
2011年9月
再転院。体外受精2回目
2011年10月採卵
2011年11月 採卵→受精卵を凍結保存
2011年12月採卵→受精卵を凍結保存
2012年1月
採卵するも”空胞”
2012年2月
採卵するも”空胞”。凍結胚を移植
2012年3月
妊娠判明
2012年11月 長男出産
2016年 3月 長女出産
2017年 4月 次女出産
私が体外受精したことを知らない方も! それだけ治療への意識が特別じゃなくなってきたのかも
私がTGP(Trying to Get Pregnant)つまり「不妊治療ではなく、妊娠しようと頑張っている」という言葉を作ってブログで発表してからもう12年。三人の子どもも10歳、6歳、4歳となり、もはや私がいわゆる一般的な言葉で言う不妊治療をして、子どもを授かったことすら世間的には知らない人も多くて。「えっ、東尾さんってそうだったんですか?」なんて驚かれることもあるほどなんです(笑)。でもそれっていいように解釈すれば、この10年で人工授精、体外受精、卵子凍結なんて言葉が当たり前に社会に浸透してきているからなのかもしれないな、生殖医療に関する意識がオープンになってきているのかなと感じて感慨深いです。
そもそも私が子どもを産みたいと思ったのが、30歳で大きな怪我をしたとき。試合に出られなくてリハビリの日々を送っていてハッと気づいたんです。「子どもが欲しかったらそろそろ結婚しないといけないのでは?」ということに! となると次にお付き合いする人は結婚を考えられる人である必要が。そんな頃に主人と出会ってすぐに確認しました。「結婚して子どもを作るつもりはありますか?」と。だって彼はお子さんがすでに何人か、お孫さんまでいる状態。もしかしたら今後の人生で子どもはもう要らないという考えかもしれない。それなら交際しても仕方ないなと思ったのです。
でも私のストレートな質問に対して彼は「若い頃より今の方が遺伝子はいいはず」と自信満々。意味不明な答えでしたが、子どもが欲しいことは分かったので交際を開始しました。
実は交際しているときから「いつ赤ちゃんができてもいいよね」と二人で話していました。きっかけは二人で地方に出向く飛行機の中でマイケル・ジャクソンの訃報を知ったとき。「人生何が起こるかわからない」という衝撃で思わず「子ども作る?」と聞いたら「そうだね」という返答が。そのときはマイケルから始まった子作りがそんなに難航するとは思っておらず。34歳で結婚して半年後には産婦人科に通い始め、そこから何もかもが初めての治療の日々がスタートしました。
TGPという造語を思いついたのは2011年。自然妊娠の兆しが見られず、産婦人科に通い出して1年ほどがたったころ、36歳になっていました。
治療のことをオープンにするのは 「夕飯これ食べたよ!」くらいの気持ちでした
今も「理子さん、よくあそこまでオープンに話せましたね」と言われますが、当時はなかなかの反響を感じて逆に私の方がびっくりしたくらい。「これって隠さなきゃいけないようなものだったの?」と驚いたほど。私としては、恥ずかしいとか隠さなきゃ、というネガティブな意識が全くなかったんです。隠したいという概念がないので治療を思い切ってカミングアウト! という意識もありませんでした。かといって私が先陣切って話して社会を変えよう、なんて使命感があるわけでもなくて。「夕飯にこれ食べました」と書くくらいの気軽さで「妊活しています。不妊治療って言い方はネガティブに感じるのでTGPって言いますね」って感じでナチュラルに言い始めたことなんです。
たしかに子どもが授かりづらいという状況を受け止めるのは辛いし、妊娠したかどうかというのは毎月合否判定が出るようなもので、その度に結果を突きつけられて心が削られていく部分もあります。時間的にも経済的にも負担です。では、どうしてそんなにポジティブに妊活できたのか?
今思うと、それはもしかしたら私が幼いころからゴルフを続けていることが関係しているのかもしれません。
スポーツ選手は負けることも当たり前。 結果に一喜一憂しないクセで前向きな妊活に
それはスポーツ選手としての、思考と努力のしかた、というか一種の習慣・クセのようなもの。
ゴルフというスポーツは自分で打たなければ球は飛びません。野球で言えばピッチャーのように、能動的に自分でアクションを起こさなければ始まらないのです。待っていては練習も試合も始まらない。自分でどんどんアクションを起こして、そのアクションがうまくいかなかったら何を改善すべきなのか考えてどんどん修正を重ねていきます。
幼いころからずっと「努力する→失敗する→改善の努力をする→ダメだとわかる→別の方法で改善する」の繰り返しでトレーニングを重ねてきたので、「がんばっても望む結果が得られないこともあるけれど、その過程はのちのち、絶対にプラスになるはず」という確信を持っていたことは妊活にはプラスに働いたと思います。
そしてゴルフはメンタルスポーツと言われます。1日ラウンドする中で70〜80回程度スイングするんですけど、その度に毎回自分の心のブレが出ないようにきっちり整えなければいけません。なんたって球は止まっていますから(笑)、気持ちの動揺や無駄な欲がミスショットにつながってしまいます。完璧なショットというのはそうそうないのでゴルフはミスを減らすというスポーツ。状況を分析し自分の体と心のコンディションと照らし合わせコントロールし、ベストな方法と戦略を瞬時に判断する。そういう心の訓練をしているのです。
その方策というかやり方ってそのまま前向き妊活にも当てはまるんじゃないでしょうか。行動して結果を受け止め、一喜一憂することなく改善点を見つけて次に進む。妊活では私も思うような結果が得られなかったら落ち込むより前に「冷えが良くないのかもしれないからよもぎ蒸しに行こう」「体を温める生姜料理やジンジャーシロップを作ろう」と即行動。妊活は時間とのシビアな戦いですから。
悩んだり落ち込んだりする時間はもったいないんです。
明日配信の第2回へ続きます
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