浮気、価値観の違い…そして3度目の結婚は8つ年下の”推しの彼”と
最初の夫はまるで父親、ネガティブな感情で通じ合った2度目の夫とはすぐに冷え込んだ関係に。そんな時に手の届く身近に、トキメキをくれるアイドルみたいな存在が現れてしまったら……⁉いくつになっても惚れこむことこそ、結婚が続く秘訣⁉そう思わされたエピソード。
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◯ 話してくれたのは...中山美穂子さん(仮名)・45歳
’77年生まれ。大学卒業後デザイン会社へ就職、24歳で初婚。25歳から海外駐在。英語を習得し、帰国後は派遣で翻訳の仕事に就く。30歳で離婚。35歳で再婚し、39歳で離婚。41歳で3度目の結婚をし現在に至る。
夫:84年生まれ。大学は経済学を専攻し卒業後、企業に就職し営業職に。32歳で結婚と同時に営業コンサル業に転身。
42歳から始めた不妊治療も3年目。明日も卵子を採る予定。できる限り卵子を採って凍結し、3人目の夫の子を産むまでは諦めないと誓っています。
1度目の結婚は24歳の時。大学を卒業後デザイン関係の仕事をしていましたが、7歳年上の最初の夫に出会い、とんとん拍子で半年後に結婚。夫は超エリートでカッコよくて頼れる人。私を守ってくれる父親のような存在でした。
まもなく夫は海外に駐在が決まり、「ついてきてほしい。仕事の依頼があれば、一時帰国すればいいから」と望まれ、夫婦で渡航。海外生活は楽しかったのですが、夫は出張が多く不在がち。ネット環境は今ほど整っていなくて、日本の友人とも連絡を取りにくい、就労ビザがなくて働けず、結局デザインの仕事も自然消滅し、孤独を感じていました。夫は私を女性としてより子どものように接してくるんですね。私は夫のことが好きなのにどうしたら大人の女性として認めてもらえるのかと、何か物足りなさを感じていました。
そんな4年間の駐在を経て28歳で帰国しました。ある日、友人から聞いた浮気をする男の条件、
1 洋服や香りを意識するようになる。
2 レストランなどの最新情報に敏感になりまずは妻を連れて行く。
3 携帯を肌身離さず持ち歩く。
などが、ほぼ夫の行動と重なり、ものすごく気になり始めました。
そんな折、友人と食事に行き、帰宅時間が遅くなった私を酷く問い詰められてきたことが。滅多にないことで、悪いことは何もしていないのに、なぜそんなに怒るの? と、疑問に思っていたら、ワイドショーを見て「自分がやましい行動をしている時は、妻もしているのでは、と疑うものだ」と知り、心がざわつきました。
そこから夫の浮気を疑い、就寝中にスマホを覗いてみると、複数名の女性と親密な関係だったことがわかりました。地の底に落とされたような感覚で、一瞬にして過呼吸でへたり込んでしまいました。最初は、携帯を見たことは黙っておこうと思っていましたが怒りがこみ上げ、翌朝、夫に詰め寄ると、「女性から言い寄られて仕方なく会っていた」と相手のせいにするのです。人間性を疑いました。まだ「本気だ」と言ってくれた方がよかった。
私は泣き崩れて気力もなくなり、意識を失って、救急車で病院に運ばれました。それくらいショック。でも、1週間入院して帰宅してからは、妻の立場は私だけだし、夫も心を入れ替え、またここから始める気持ちで、通常の生活を始めたんです。
私は嫉妬心に苛まれて夫の行動を終始監視。夫は帰宅時間を必ず言い、遅れると電話してくるほどの気遣いぶり。ところが、そんなピリピリした生活の中でも、浮気が続いていたことが発覚。私を空っぽにしておいてまだ嘘をつき続けていたのかと、電球がパチッと切れたような感覚になり、離婚届を書いて実家に帰りました。
夫は引き止めましたが、数カ月後にサインをしてくれ離婚成立。30歳でした。元々自由気質な私、でも夫といると海に飛び込みたいのに、どうしても飛び込めないような感覚があったのですが、やっとすいすいと泳げたような、心が軽くなりました。
慰謝料も何もなかったけれど、帰国後は美大時代からの友人の紹介でデザインの仕事をしていたので、何とかなるだろうと楽観的でした。実際仕事をたくさんいただき、忙しくしていましたが、これまでの経験を活かしながら、もう少し違う世界を見たいと広告代理店の中途採用の試験を受け、合格しました。
ところがこの会社が相当なブラック企業。特にパワハラ・セクハラが酷く、しばしば同僚の男性と会社に対する愚痴を言い合っていました。そこから意気投合して、またしてもとんとん拍子に、流れのまま入籍。35歳でした。同時にブラック企業も退社し、フリーデザイナーとして再スタート。仕事は順調でしたが、愚痴から始まった夫婦関係は常にネガティブで、2度目の夫は人を褒めない、何事も多くを語らず、互いの価値観に隔たりを感じるようになっていました。
何度も話し合い、家だとなし崩し的になるからカフェに行ったり。でも夫は話すこと自体面倒に感じていたようで、一緒にいると居心地が悪く、私も夫と話すことを避けるようになり、会話は次第になくなりました。
そんな頃、デザインの依頼を受けた営業コンサルの会社で今の夫に出会いました。仕事の話が中心でしたが、生き方や人に対する接し方、未来の話など、彼は誰からも好かれる素晴らしい人間性で、私は次第に惹かれていきました。でも、仕事で繋がっているだけの関係で、しかも彼は8歳も年下。彼が私を見る目は特別なものではないし、何の期待もしないし、勝手に好きでいるだけ、アイドルを好きな気持ちと一緒と自分に言い聞かせていました。
でも、気持ちを抑えることはできなくて、勇気を出して、自分から食事に誘ってみました。その日、本当に楽しくて、調子に乗って飲みすぎて、つい吐いてしまったんです。その帰り道、結婚生活が破綻していることを伝えると、「自分に正直でいることが大事」と言った彼の言葉に、子どものように大泣きをして、前夫との曖昧な関係は辞めようと気持ちが決まりました。速攻、夫に離婚を切り出すと、彼もそのつもりだったと、始まりよりも呆気なく、2度目の結婚生活に終止符を打ち、晴れて独り身に。
離婚プロセスに入った段階で、勇気を出すきっかけをくれたお礼も兼ねて彼に状況を伝え、「好きです」と告白すると、彼も「ゆっくりでいいのでいつか付き合えたら」と思いも寄らない言葉をもらい、交際が始まりました。しかも彼はすぐに結婚を考えてくれました。嬉しくてしょうがないのに、驚きが大きかったことと、自分は2度の離婚という経験があること、8つの年齢差、ご両親はどう思うだろう、それよりも3度目でも失敗したらどうしようと、その申し出にすぐにはイエスと言えずに、交際が続いていました。
でも、2人共通の友人も増え、一緒に山に出かけたり、ワイワイお酒を飲んだり、楽しくてしょうがない。時間が経つに連れて、もう彼なしでは考えられない、人生を共にしたいと思うようになっていきました。するとある日、大勢の友人の集まりの中で、サプライズで公開プロポーズをしてくれたのです。友達を大事にする彼らしいチョイスに感動し、もう迷うことはありません。即OKの返事をしました。実はすぐには賛成してくれなかった義母も、回数を重ねて会ううちに気持ちよく受け入れてくれました。
私たちは晴れて夫婦になりました。私は3度目で本当の幸せを摑みました。今振り返ると、過去の2度の結婚では、どこかで自分を抑え、自分が我慢すればいい、空気をこれ以上悪くしたくないなど忖度するばかりで、本音で生きていなかったんですよね。でも今の夫と一緒にいるようになってから正直でいることがどれだけ大切なことかを学び、今までなら言わずにいた違和感や自分の想いをきちんと伝える様になり、心が軽くなりました。
あの日、「好きです」と告白しなかったらこうはなってなかった。気持ちを伝えて本当によかった! 結婚後は笑う時間が増えました。夫はかけがえのない存在です。もし彼が浮気をしても、「遊んじゃったのね」と許せる気がするんです。だから夫の子を何としても産みたい。諦めたらそこで終わりだから。不妊治療は辛いけど、卵子が採れなくなるまで続けたいと決意しています。
<夫婦円満の秘訣>
新婚旅行はフランスへ。パリの街並みと食事を存分に楽しみました。2人ともワインが大好き。家でも飲みますが、バーにもよく行きます。2人並んで楽しむことが多いです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2022年8月号掲載時のものです。
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