「早すぎた更年期が、新たな学びと起業の道へと導いてくれました」
Define Beauty 藤田陽子さん
実家が服飾関係の仕事だったので、小さな頃から洋服が大好きでした。厳しい家だったので、母からはいいお嫁さんになることが幸せ、専業主婦になって欲しいと育てられました。
音楽大学を卒業した後、イギリスに留学して語学と服飾について学び帰国。2年間のイギリス留学から戻ってくると、日本では〈大学新卒の機会を逃すと就職が難しい〉という壁にぶつかりました。そんな折に出会った主人と結婚。主人の仕事の関係で27歳で渡米して生活をニューヨークに移し、ポールスチュアートにアシスタントバイヤーとして働き始めることに。
アシスタントバイヤーとしていろいろと勉強したかったから「お給料よりも修行させてほしい」と言ったら、一週間ごとに出るお給料が200ドルぐらい(笑)※当時約17,600円。ニューヨークは日本と違い、販売員はコミッション制。基本給は1時間800円くらいで、売っただけもらえるコミッションがあるのみ。売ればもらえるシステムでしたから、稼ごうとする販売員たちの熱意はすごかったです。丁寧に教えてくれる人なんていないし、ちょっと英語が通じなかったりすると、すぐ「チェンジ」と言われてしまう、とにかくなんでも自分でやらないといけないと必死でした。
NYから帰国後のハードワークと体調不良
5年後、アジア人では異例の婦人部門のマネージャーの任命を受けます。今思えば、当時、日本人でそこまで上り詰めたのは私だけだったかもしれません。5年間を振り返ると、私が昇進した理由は販売成績が良かったというのがいちばんだったと思います。接客しているときは〈その人の魅力をどうやって引き出してあげようかな〉と、いつもそればかり考えていました。ニューヨークの人たちは、洋服への考え方の中心がTPO。ですからビジネス、ランチ、パーティなどそれぞれに着こなしの提案が必要でした。気に入ると、「上から下までください」と喜んで買ってくれます。
そんな中、私はひとつのアイテム、例えばブラウス1枚をビジネスからパーティまで着回せる提案をしてみたところ、それがうけてお客様が付くようになりました。「着回し」という提案が新鮮だったようですが、そういう考え方は日本人特有の感覚なのかもしれないと気が付きました。日本人はオシャレに創意工夫をこらすところがある――改めて外から見た日本人の良いところにも気づけた経験でした。
2002年3月に帰国。36歳で、日本のアパレルブランドに転職して、海外開発担当として、アジアの店舗開発を任されます。ニューヨークでは遅くとも19時には帰宅して、その後は自分の時間、家族との時間が持てましたが、日本ではそんなわけにいかず、さらに当時、通勤に片道2時間もかかりました。早朝家を出て、夜帰宅してから食事の支度など家事をして、数時間後にはまた家を出る――そんなハードな生活を続けて1年半ぐらいしたころ、ふと生理の周期が乱れていることに気が付きます。
終わったのに2週間後にまた生理が始まったり、そうかと思ったら何か月もこなかったり……〈おかしいな〉と思って病院で検査してもらったところ、診断結果は「女性ホルモンの検出ができません」でした。
なんとなく察したものの「え、どういうことですか?」と聞き返すと、「このままにしておくと閉経ですね」と言い直されました。今思うと、そうは言われたものの、まだ若かったし、忙しいから生理が乱れているのだろうと、きちんと治療をしなかったのもいけなかったのだと思います。40歳になる頃には、本当に閉経してしまったのです。
子どもが欲しいとも考えていたし、自然に望めるものとも思っていたので、状況を受け入れられずショックでした。〈閉経したんだ〉……そう知ると、体のだるさややる気が出ないなど今まで気のせいにしてきたことが自覚に変わり、刻々と肌もひどく荒れていきました。このまま、ハードな仕事を続けていくのは無理。
そして、体調の悪さに比例して考えるようになりました。
〈自分は本当は何をしたいんだろう……人生80歳と考えるとあと半分、子どもも望めない、一生をかけてやれる仕事をしたい〉。
ひどく荒れた肌を見ながら、店頭で洋服を販売していたときのことをふと思い出しました。「若い頃と体型が変わってしまったから、着たい洋服が着れないの」とお店でおっしゃるお客様も、「私ね、首にはシワがないって褒められるのよ」「若い頃から色白で、そこだけは今でも自信があるの」とお肌のことを楽しそうに話す方がとても多かったこと。
年齢を重ねるごとに体型に自信をなくしてしまう方は多いけれど、お肌がキレイなことは自信につながる。
〈そうだ! お肌のことをきちんと考えた化粧品を作ってみたい〉と思い立ちました。
美容と健康を学んでゆく中で出合ったプロテオグリカン
そう思い立ったら、未練なくアパレルの仕事を辞めることは簡単でした。むしろ販売経験が活かせるし、似合う服をオススメしたときのお客様の喜ぶ顔を化粧品でも見たい。そんな熱意が沸き、化粧品開発に没頭していきました。
とはいっても、化粧品を一から素人が作ろうというのですから大変です。何をどこに聞いていいかわからない、とりあえず早く迎えてしまった更年期、体調不良と肌荒れの経験から自分のからだの成分について調べてみようと思いました。私には学び直しが必要だと。
そして、からだとお肌の仕組みや美容に関することをたくさん学び、さまざまな資格を取りました。
〈左〉ITEC/イギリスが認定している国際エステシャンの資格。アメリカ認定の資格よりも数倍取るのが難しいと言われています。この資格を取るために、解剖生理学を学び、別途、解剖生理学の試験もクリア。
〈中上〉美齢学指導員/一般社団法人グローバルジェロントロジーセンター認定資格。
〈中下〉ジェロントロジー/カリフォルニア州立大学のジェロントロジー(老年学)の学位を、山野愛子先生のところで通信講座で取得。
〈右〉オイルソムリエ/エイジングケア用のオイル美容液を作るときに、オイルをしっかり学んでから作りたくて取得。
コラーゲンやヒアルロン酸は、子どものときはたっぷりあるけれど、大人になるにつれて減少します。私はそれら生体成分と呼ばれる成分が減少していくときに体に与えるマイナスのインパクトの大きさを、女性ホルモンの急激な減少を体験したことで身をもって知っています。
そこで、加齢とともに減少していく成分に着目し、原料メーカーに声をかけていきました。
そこから紆余曲折を経て、プロテオグリカンと出会いました。プロテオグリカンは人間の体内にある成分で、美容や健康への効果が高いと大学で30年以上も研究されている成分。
シャケの軟骨部分から抽出され、日本が世界に先駆けて研究開発している美容・健康成分です。最初にプロテオグリカンのサンプルを使った感動は、今でも忘れられません。
〈何これ! すごいっ!! 肌がしっとりしてプルプルするだけじゃなく、表面がツルっと整う感じ!〉
使ってみてすぐに、この成分をメインに商品開発しようと決めました。
その後、プロテオグリカンの権威であられる弘前大学の中根教授の元にお伺いする機会がありました。教授がおっしゃったのは、「プロテオグリカンは、入れた量に比例して肌実感がある成分」だということ。私の開発した化粧品は、プロテオグリカンを高配合することにこだわっているのですが、自分の肌で感じた実感を元に商品開発をしたのは正しかったのだと思い、とても嬉しくなりました。
2011年、ついに商品ができあがり、まずローションとパッククレンジングを発売。ローションにはプロテオグリカンを高配合し、肌荒れしていたときにクレンジングの大切さを思い知った経験から、まずはこの2つを完成させました。
クレンジングについては、「面倒くさいけれど、落としてからお手入れしないのは良くない」と専門医に言われたので、クレンジングそのものが最初のお手入れになるというコンセプトで着手。弱酸性でお手入れもできて汚れが落ちるという「パッククレンジング」という名で商標を取得しました。
商品を手に取ってくれる人は、自分の人生に共感してくれる人
さあ、できあがった商品を売ろうという段階になり、次はモノを売ることの難しさに直面します。店舗がないので、試してもらうことが難しい。さまざまなところに化粧品を持ってキャラバンに行きましたが、どこへ行っても「あなた誰?」から始まり、「あなた自身が何かで売れている人だったら取り扱ってもいい」と言われるのですが、私は化粧品を売りたいがためにここに来ているのであって、自分自身が有名人ならわざわざキャラバンには来ない。私は無名だけど、商品はとても良いものができたから知ってもらいたいと思って活動しているのに、と悔しい思いの連続……。
それでも、自分の体験談に対して共感してくれた人が買ってくれて、少しずつ口コミで広がっていきました。
発売から1年ぐらいして、テレビショッピングのベンダーの方が、商品や開発秘話を気に入ってくれました。プロテオグリカン成分を使った商品がまだ世になかったので、その珍しさもあって運よくテレビショッピングの話が決まります。
それ以来、約10年、商品のラインナップを増やし、テレビショッピングに自身で出演して販売。たくさんの女性から嬉しいお声を耳にすることが増えました。
これまでの人生を振り返ると、留学、結婚、渡米、そして思いもよらなかった40歳での閉経。
それを機に学び直し、起業し、化粧品を作り、商品を売り、誰かの喜ぶ顔が想像できるようになった今、そのときどきで本当に人に助けられたと思います。素人の私がここまでこれたことに感謝しかありません。
一所懸命やっていると、誰かが手を差し伸べてくれる体験に恵まれてきたので、今度は誰かが新しいことに挑戦しているときに、私が手を差し伸べてあげられる人になっていたいと思っています。そして、いつくになっても面倒くさがらずに、新しいことに挑戦していく自分でいたいとも思っています。
化粧品を作っていちばん良かったと思うことは、皆さんが自信を持って人生を生きるお手伝いができること。鏡を見たときに、お肌の調子がいいと「まだ私いけるじゃん!」と言う気持ちに誰でもなると思うのです。その気持ちが生きるパワーにつながり、その人がますます美しくなる、プラスの連鎖が繋がっていくんですよね。
自分がポジティブでいられるツールの一つが、肌が美しいこと。そう実感していますし、
これからも大切に作った化粧品を通してそれを伝えていきたいと思います。
取材/高橋奈央