西田ひかるさん(53歳)アイドルからママへ。きつい時期もあった子育てで得たものとは
アメリカで育ち、10代で芸能界に飛び込み、歌や芝居、バラエティと多方面で活躍してきた西田ひかるさん。20代で走り抜けるように仕事をし、29歳で結婚。2人の男の子ママとして子育てについてお聞きしました。
▼あわせて読みたい
西田ひかるさん(53歳) 芸能界へのきっかけとは…「10代のデビューから20代は挑戦し続けました」

西田ひかるさんProfile
1972年生まれ。生後まもなくから13歳までロサンゼルスで過ごす。帰国後はバイリンガルの才色兼備タレントとしてデビュー。歌手、女優、タレントとして幅広く活躍中。プライベートでは2002年に結婚。2児の母でもある。
2025年12月30日~2026年1月4日明治座で上演
Thank you very マッチ de SHOW『ギンギラ学園物語新春!再びマッチでーす!』に1月3日、4日出演予定
子育てを通して日本の文化を知ることができました
STORY編集部(以下同)ーー結婚されて生活が変わったと思いますが
29歳のときに結婚しました。最初はアメリカで暮らすことになり、自然とお仕事は少しお休みする形になりました。ずっと芸能生活を続けてきて、休みといえば体や気持ちのメンテナンスのためだけ、スーパーに行くのも撮影の一部みたいな生活から、急に自分でスケジュールを入れないと何もない、最初はその感覚に戸惑いましたね。日本で子育てをするようになって、私自身が日本の学校に通った経験がなかったので、日本文化や生活習慣はわからないことだらけでした。カリフォルニア時代はビーチサンダルにTシャツが日常。日本の小学校の入学説明会に薄いグリーンのスーツで行ったら、周りはみんな黒や紺で「あ、浮いてる」と思ったこともあります(笑)。自分の子どもを日本の学校に通わせて、自分が経験できなかった運動会や遠足を一緒に体験して日本の文化を知ることができました。

子育ては頼れるところに頼る!
ーー子育てで大変だと思ったことは
夫は出張が多かったですが、精神的にはワンオペではなかったと思います。息子2人なので、父親からの言葉のほうが響く場面も多く、頼れる存在でした。近くにおじいちゃんおばあちゃんもいて、東京に住む私の母も手伝いに来てくれて。子育てはみんなで育てるという考え方があって、頼れる手は全部頼るようにしていました。

反抗期はありませんでした
ーー反抗期はありましたか?
うちは男の子が2人。思春期に入っても、幸い大きな反抗期はありませんでした。小さい頃から「話せる環境を作る」ことは意識していて、毎晩ベッドに入ってからその日のニュースを3つ話す、という習慣を続けていました。大したことじゃなくていいんです。「誰とお昼を食べた」とか、「先生の赤ちゃんが生まれた」とか。そういう何でもない話を、気軽にできることを大事にしました。テストの点数やクラスの平均点は、本人が話さない限り聞かないと決めていました。大事なのは点数よりも、どれだけ頑張ったか。やっていないことはやっていないと伝えるし、頑張ったことは褒める。その方が、本人の自尊心ややる気につながると思ったからです。2人とも野球をやっているのですが、夢中になれるものを見つけられたのもよかったのかもしれません。
ママ友に助けられています
ーー40代になって変化したことはありましたか?
40代後半になると、体調面で大きな変化がありました。長男が中学で野球を始め、土日祝は早朝から遠征や試合の送迎。体重の増減どころではなく、ひどい貧血になったりり、階段を上がるのもしんどい時期もありました。そんなときはママ友の存在や趣味が支えになりました。ジムで話したり、月に一度の編み物教室に行ったり。体の不調や子育ての悩みを話すことで、「自分だけじゃない」と安心できました。

ーー50代になってやってみたいことは
子どもが大きくなり、夫婦2人で過ごす時間が増えました。土日は試合や送迎で忙しかったのが、今では一緒にランチに行ける日もあります。主人と共通で楽しめることを見つけようと、ゴルフを再開しようかなとも思っています。
仕事面では、去年の年末に久しぶりに舞台に立ちました。わずかな出演でしたが、体力や声の衰えを感じ、「もう一度基礎から整えて挑戦したい」という気持ちが強くなりました。旅行も、これまで行けなかった場所に行ってみたい。楽な場所もいいけれど、少しチャレンジする旅もしてみたいですね。

ブラウス¥121,000(YUKI TORII INTERNATIONAL)パンツ¥68,200(YUKI TORII INTERNATIONAL)靴(有)花子
撮影/沼尾翔平 メイク/佐藤トモコ スタイリスト/(有)花子 取材/山﨑智子
おすすめ記事はこちら