【中川翔子さん】10代の私を救ったのは、“好き”を諦めなかった気持ちでした

「しょこたん」の愛称で親しまれ、歌手・タレント・声優・イラストレーターなど幅広く活躍する中川翔子さん。
“オタク”がまだ揶揄されることの多かった時代から、自分の「好き」を正直に発信し続けてきたパイオニアです。けれどその裏には、10代の頃に経験したいじめや引きこもり、自殺未遂など、誰にも言えなかった苦しい日々がありました。
第1回では、思春期のどん底から、どうやって生きる力を取り戻していったのか。その原点を語っていただきました。(第1回/全3回)
中川翔子さんプロフィール
1985年生まれ。東京都出身。歌手・タレント・声優・女優・イラストレーターとして多方面で活躍中。2019年には著書『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』を出版し、同書からの文章「心のアンテナ」が中学校道徳教科書(令和7年度版)に掲載されるなど、メッセージ性のある発信も注目を集める。猫好きとしても知られ、10年以上にわたり動物愛護団体やボランティアと連携し、猫の保護活動や里親探しを継続中。現在妊娠7ヶ月。
普通の家庭とは違ったけど、幸せな子ども時代でした
小さい頃の私は、今とあまり変わらなかったかもしれません。絵を描いたり、ゲームをしたり、猫と遊んだり。自分の世界に夢中で生きているような子どもでした。
うちはちょっと変わった家庭だったと思います。父はいなくて、母と猫たちと一緒に暮らしていました。
祖父母の家にもしょっちゅう通っていて、祖父は“父親代わり”のような存在。母は仕事が忙しく、ひとりで過ごす時間も多かったけれど、猫が2〜3匹いたので、寂しさを感じたことはありませんでした。兄弟みたいな感じで、たくさん話しかけて、ずっと一緒にいました。
レンタルビデオ屋さんで映画やアニメを借りては観て、絵を描いて…。
“比べる対象”がなかったので、「これが普通なんだ」と思っていたし、そんな日常がとても好きでした。
母は私の「好き」に寄り添って、絵の道具も惜しまず買ってくれました。
週末になると、母や祖父母が水族館や動物園、お寿司屋さんや旅行にも連れて行ってくれて、たっぷりの愛情を注いでくれました。
“普通の家庭”とは少し違ったかもしれないけれど、私はずっと「幸せだな」と感じていました。


小学校の「黄金期」が、一転。中学で世界がガラッと変わった
小学校高学年のころは、学生時代で一番楽しかった時期でした。
担任の先生が素晴らしくて、生徒一人ひとりの長所をきちんと見て、褒めて伸ばしてくれる人だったんです。
私は勉強や運動が苦手でしたが、いつも「絵が上手だね」と褒めてくれて、文集やしおりの表紙も任せてくれました。
クラスのみんなも私を認めてくれていて、毎日学校に行くのが楽しみでした。
でも、中学に入って世界が一変しました。
私立の女子校に進学したのですが、漫画を描いていると「キモい」、アイドルの話についていけないと「ヤバいやつ」と言われて。
次第にクラスでは無視され、休み時間は寝たふりをして過ごし、誰とも目を合わせられない、声も出せない…。
とにかく学校で一人でいることが恥ずかしかった。でも誰にも言えなかったし、母にも言えなかったです。明るく前向きな母に、自分の暗い気持ちを伝えたら、もっと苦しくなるような気がして。
やがて学校にも行けなくなり、卒業式にも出られませんでした。
「死にたい」「消えたい」が毎日の口癖。家で暴れて泣いて、リストカットや自殺未遂もしました。
そんなある日、ふと猫が通りかかって、「最後にもう一回だけ抱っこしよう」と思ったら、その姿があまりにもかわいくて、「まあ、明日でもいいか」と思えた。
母に見つけられて、命をつなぎとめられたこともありました。
今思えば、人生の節目節目で、誰かが助けてくれていたんだと思います。
その後は通信制高校に進学し、少しずつ息がしやすくなっていきました。
周囲にはいろんな子がいて、今まで関わったことのなかったギャルが「絵うまいじゃん」って褒めてくれたり、カラオケで「歌うま!」と言ってくれたりして、「ここでは嫌われないんだ」と思えたんです。
卒業式で卒業証書を受け取ったときは、本当にうれしかったです。
あの頃、本気で「もう終わりだ」と思っていたけれど、今こうして生きていることが、奇跡のようでした。

生きてたら、憧れの人にだって会える!
どん底だった16歳のある日、私がジャッキー・チェンに夢中になっているのを見て、母が香港旅行に連れて行ってくれました。
そしたら本当に、レストランでジャッキー本人に遭遇してしまって!
優しく接してくれて、ご飯までごちそうしてくれて…。信じられない奇跡に、号泣しました。
「生きていたら、憧れの人に会えることもあるんだ」
そう感じた瞬間でした。
「また次に会えたら、ありがとうって伝えたい」と、小学生以来、はじめて“未来”のことを考えられたんです。

その1年後、母の知人の紹介でジャッキーさんの事務所に入れてもらえたものの、言葉もアクションもままならず契約解除。
「やっぱり、好きな人にさえ嫌われるんだ…」と、またどん底に落ちました。
だけどその直後、代役で行った別の現場で、大好きな漫画家・楳図かずお先生とお会いできたんです。
仕事が終わったあと「またね」と言ってくださったことが、何よりもうれしくて。「生きていれば、また会えるかも」って思えたんです。

ブログで「好き」を発信してミラクルが起こった
2003年ごろ、まだSNSも流行っていなかった時代に、ブログを始めました。
最初は、呪いの言葉を書こうとしていたんです。だけど「これを読んだ誰かがどう思うかな」と考えたら、指が止まりました。
だったら、自分の“好き”なことを書こうと思って。漫画やゲーム、猫…。これが自分にとっての“明るい遺書”だと思って書いてました。
当時の芸能界は、「好き」をオープンにする空気ではなかったんです。でも、ブログを見て「実は私も好きなんです」と言ってくれる人が増えていって。
書いていくうちに、自分の言葉に自分自身も励まされていたんです。
「好きなことを、好きって言ってもいい」そう思えた瞬間、世界が開けました。
最初は“あのオタク”と呼ばれていた私が、気づけばネットからテレビへ、そして紅白歌合戦にも出られるようになっていました。
死ななかったから、夢が叶った。
やめなかったから、出会いたかった人に出会えた。
小学校時代の恩師の「あなたは絵を描きなさい」という言葉も、
母の「旅行に行こうよ」というひと言も、
あの日、猫が通りかかったことも。
全部、奇跡のようにつながっている気がします。

ブラウス¥4,950、スカート¥7,920(共にLibra cue)
ピアス¥3.080(ダニエ/SUSU PRESS)
サンダル¥23,100(ダニエルアンドジェマ)
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撮影/沼尾翔平 ヘアメイク/柏瀬みちこ スタイリスト/宮崎真純(likkle more) 取材/沢亜希子
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