「娘の障害の事実は変えられない。どうしたらこの子が幸せに生きられるかを考えようと心に誓いました」
子どもが生まれた時、あるいは何年か経った時、はじめて直面する子どもの「障がい」や「難病」──。皆さん一様に、驚きや混乱に包まれたとおっしゃいます。「一体何が起きているの?」「この後、この子はどうなるの?」……そんな不安の中から立ち上がり、力強くそれぞれの人生を歩む親子たちのお話を聞きました。
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【カット集】発達ナビ編集長「障害への理解が少しでも深まっていけたらうれしい」
牟田暁子さん 49歳・東京都在住
LITALICO発達ナビ・仕事ナビ 編集長
障害のある方に向けた、様々な支援事業を展開する(株)LITALICO には7年前入社。現在、同社が運営するメディア「発達ナビ」「仕事ナビ」の編集長。「発達ナビ」https://h-navi.jp 「仕事ナビ」https://snabi.jp/

キャリアもライフワークも
娘の存在が世界を拡げてくれた
娘の存在が世界を拡げてくれた
「発達遅いかも……」そんな不安が過ったのは、長女が1歳半の頃。てんかん発作で病院を受診したところ検査を勧められ、アンジェルマン症候群と告げられました。最重度の知的・身体障害で発語や歩行が難しく、全介助が必要な難病だと知った時は目の前が真っ暗に。「1週間は落ち込んだかもしれません。でも障害の事実は変えられない。どうしたらこの子が幸せに生きられるかを考えようと心に誓いました」。
一人での食事や歩行は難しい病気と知りながらも、決して諦めなかった牟田さん。「定型発達でも勉強しないとできるようにならないのだから、練習が大切だと信じてセラピストの指導を受けました。通常は2〜3回でできることを、千回一緒にやってみる。そうして少しずつできることが増えていったんです。特に幸福度に関わる食事は根気強く教え、16歳になった今ではお箸も使えるように」。
とにかく色々な経験をさせようと、車で日本中を巡りました。「乗馬セラピーのおかげで今でも動物が大好きな娘。水も好きなので、海でカヤックも楽しんでいます」。
当時は出版社勤務で多忙を極める毎日でしたが、長女に寄り添うため残業のない会社に転職。「でもやはり、編集者としてのスキルを活かしたいと思って。言葉で社会にインパクトを与えながら、障害のある人に貢献したいと障害者支援を行うLITALICOに入社しました。娘が特別支援学校やデイサービスさんにみてもらっている間に仕事をしています」。
障害がある子の親御さんに共通しているのは、頑張りすぎていること。「もっと自分を大事にしていい。自分が満たされていれば、子どもに寄り添う余裕も生まれます。我が家は各々が、自分の人生を生きている。夫も長男も協力的ですが、仕事や大学生活が中心。その真ん中に娘がいて、皆全力で愛を注いでいます」。
牟田さん自身、長女の存在によって見える景色が変わったそう。「娘がいなければ出会えなかった人たちや、挑戦しなかった活動ばかり。仲間とボランティアで始めたプレイパークもそう。娘のためにも長生きしたくて始めたヨガは、講師の資格を取るまでに。役員を務めるアンジェルマンの親の会で得た知見も、仕事に活きています。娘は、私の世界を拡げてくれたかけがえのない存在です」。
今描いている夢は、夫の実家がある五島列島への移住。「成人後の娘も、大好きな海の近くの福祉施設でのびのびと仕事ができたら幸せだろうなって。私はいつかヨガの資格も活かして、多様な人が集えるリトリート施設を開きたい。障害の有無にかかわらず、様々な人たちが元気になれる場を作り、娘と笑顔で暮らすのが夢ですね」。
<編集後記>柔軟に軽やかに、家族を支え続ける強さに心打たれました
娘さんをきっかけに、キャリアやライフスタイルを軽やかに変化させ、ご自身も進化し続けている牟田さん。ご家族の幸せを最優先に考えながらも、常に前向きに「私は私の人生を生きている」と語る凜とした姿に心打たれました。障害の有無にかかわらず、子育てにおける本質的で大切なメッセージと、勇気をいただいた気がします。
撮影/BOCO 取材/渡部夕子 ※情報は2025年3月号掲載時のものです。
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