女優・須藤理彩さん「夫の七回忌を迎えて、ようやく言える『私たちずっと4人家族だよね』と」
結婚したら、60代、70代まで、連れ添うのが普通と多くの人が信じて疑いません。でも、そんな当たり前の日常はすべての人に約束されているわけではないのです。30代、40代でパートナーに先立たれた方に夫の死をどう受け止め、どう歩んできたのか、お話しいただきます。今回は須藤理彩さんが、初めてご主人のことを語ってくださいました。
夫との死別から始まった、私の40代
夫と過ごした10年。私のほうが世話を焼いてリードしていたように見られがちだけれど、実は、夫の手のひらで転がされていたのは、私だったと思いますね。
Risa Sudo
女優。'76年7月24日生まれ。'98年NHK朝の連続テレビ小説「天うらら」でヒロインデビューし、『救命病棟24時』、大河ドラマ『利休とまつ』など、数々のドラマや舞台で広く活躍。NHK総合夜ドラ「つまらない住宅地のすべての家」(毎週月〜木 22:45〜放送)に出演中。高1と小5の娘を持つ母でもある。
―――’16年、ご主人の川島道行さんがご逝去されました。以来、ご主人について多くを語ることがなかった須藤さんですが、今回、お話しいただけるとのこと。ありがとうございます。
テレビなどではお話ししてこなかったのですが、夫や私に関心のある方が見てくださるSNSでは、誕生日と命日にコメントを出してきました。10月9日で七回忌を迎え、ようやく振り返って語れる時期が来たかなと思い、取材をお受けしました。
―――ありがとうございます。さっそく、夫・川島道行さんと出会われたきっかけから教えてください。
夫は、ブンブンサテライツというロックバンドで活動していて、ボイストレーニングの先生が一緒だったんです。生徒の食事会で、向かいの席に座ったのが彼でした。終始ニコニコ穏やかで、みんなが飲むサワーのレモンやグレープフルーツをずっと搾っていて。バンド名と尖った感じの曲は知ってはいましたが、曲の雰囲気と、目じりを下げて笑っている姿のギャップがすごくて「この人があのバンドの?」という印象でした。
彼はイギリスを拠点にしていたので、その後は、メールのやり取りをしたり、帰国時にみんなで食事したりといった友達付き合いを4年ほどして、その後、2年の交際を経て、30歳の年に入籍しました。 本当は誕生日を節目に入籍を、と思っていたのですが、ちょうど舞台と重なり、それが終わってから、と思っているうちに、遅くなってしまい。入籍は妊娠7カ月のときでした。
’97年にヨーロッパでデビューしたブンブンサテライツは世界中で大人気に。最後まで、ギターを手放しませんでした。(撮影/山城昌俊)
夫の病のことは 結婚する前から知っていたけれど、 若かったあのころは 死は遠く、現実味のないものでした
―――出会ったころ、川島さんは、すでにご病気をお持ちだったとか。
彼はデビューした’97年に脳腫瘍で最初の手術を受けていました。出会ったときは、2回目の手術の直後でしたが、あっけらかんと「手術した」と言うので、こちらも「そうなんだ。大変でしたね」くらいのノリで聞いていました。当時は若かったし、病気とか、死とか、現実離れしていて、実感が湧かなかったんですね。毎年定期検査を受けていて、7~8年ずっと異常なしだったので、大丈夫なんだろうなと思っていました。
―――家庭でのご主人のようすは?
彼は仕事がすごく忙しくて、2日連続で休めるなんて、年末年始でもなかったし、1年近く、ワールドツアーで家を空けたこともありました。家事は期待していなかったので、やってくれるとありがたいと思いました。でも、子どもの面倒はすごくよく見てくれて。娘たちの出産のときも、レコーディングから病院にかけつけて、へその緒を切ってくれたし、子どもの行事ごとは、睡眠時間を削ってでも出席してくれました。私が仕事で留守の間に長女と動物園に行った、なんてことも。衝突しそうになっても、彼は自分が悪いとわかっていて、すぐに謝るので、喧嘩になりませんでした。2人目の妊娠中に、初めて2日連続でお休みがもらえたときに、温泉に行きましたが、あれが最初で最後の家族旅行だったな。
―――本当にお忙しかったんですね。
ええ。でも、休みをもらったのも、体調に異変があったからで、予兆だったのかもしれません。’12年の検査で、いつもなら「大丈夫だった」と連絡が来るのですが、なかなか来ないし電話にも出ない。ようやく連絡がついたと思ったら、「夜、帰ってから話すから」と。そのとき、全国ツアーが決まっていて、ファイナルは武道館だったんです。再発がわかった時点で、バンドの相方やスタッフと緊急会議をして、武道館だけは決行という方針を決め、そのためには、いつ手術して、どのくらいの期間リハビリをして、とスケジュール組みをしたと聞かされました。心配でしたが、夫が決めたことを、ひとつひとつ受け入れていきました。