子どもがいるから離婚をとどまってしまう…「子連れ再婚」成功の秘訣とは

子どもがいるから離婚を留まっている、潜在的な〝離婚予備軍〟は40代の中でも相当な数に上ると言います。今回はその中で希望を見出した方のお話です。

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「子連れ再婚」成功の秘訣

◯ 話してくれたのは...岩井美希子さん(仮名)

東京生まれ。小学校から大学までを私立の一貫校で過ごす。24歳で結婚、34歳で離婚。36歳で子連れ再婚。三日月目になるほど、常に笑顔で穏やかな性格。

夫 横浜生まれ。離婚経験あり。現在は化粧品会社を起業し、成功を収めている。ゴルフとギターが趣味。誰に対しても親切で、思いやりのある性格。

最初の結婚は22歳。大学在学中に3度目のお見合いで出会った8歳年上の商社マンと結婚しました。いわゆる三高で、高級車に乗り、実家も裕福。その上、それまでお見合いした堅苦しいタイプとは異なり、最初の席でも「何飲む?」と気軽に話すラフな人。きっとお見合い市場には二度と出てこない素敵な男性と思え、NY赴任が決まっていたことも高得点。

上辺だけで判断し、結婚を決めてしまったんです。結婚と同時に赴任。すぐに二人の子供に恵まれました。でも、思えば婚約中から些細なことで私を注意したり、怒られたりは多々あり、「君は世間知らずだから、俺の言うことを聞いていればいい」が口癖。毎日毎日揚げ足を取られ、私の行動に対してダメだしされる生活が始まったんです。

まさに、完璧な男尊女卑、亭主関白を絵にかいたような人でした。お酒を一滴も飲まない夫は、私にも飲酒禁止令を出し、あるとき駐在員妻のランチ会で少し嗜んだことがばれたときは、「離婚だ! 荷物まとめて出て行け」と。またアメリカにいながら、常に荷物持ちと車の運転は私。ただ、経済的には恵まれ、子煩悩な人でしたので、こんなものかと我慢していました

6年間の駐在を経て、帰国後は子供たちも小学校受験に成功し、家も建て、周囲からは羨まれるような生活でした。ところが「女はこき使えばいい」という価値観は崩さず、妻と言うより家政婦のように虐げられていきました。

徐々に私の体調が悪くなり、最初はストレスからこめかみや歯茎が痛くなりました。あるとき我慢できないくらい胃が痛み、救急病院に運び込まれ、真夜中にひとり病院の冷たいベンチに寝て待っていると、妙に悲しくなりました。痛みの原因はストレスと医師から言われたとき、笑顔が取り柄の私から笑顔が減り、自分らしく生きてないことがむなしく思えました

このとき初めて「離婚したい」という想いが込み上げて来たのです。でも一方で父親のいない子にしていいのか、周囲からどう思われるのかと世間体も気になり、右に左に揺れました。夫にも「私は限界です」と信号を送りましたが、「誰に向かって言ってんだ」と。

それを何度か繰り返しているうちに「離婚できれば、生活水準が落ちても私らしく暮らせる」と希望が湧き、家を出ることを決意。夫が会社に行っている間に荷物をまとめ、置き手紙をして実家に帰りました。この時初めて「悪かった」と泣いて夫が謝ったのですが、私の中では何かが音を立てて崩れ、「もういい」と離婚調停に向けて歩み始めたのです。

実家に戻り、中古車を購入するために、友人に紹介してもらった輸入車の会社を経営していたのが今の夫。正直、夫はタイプではなかったので、全く気を使うこともなく、「調停中です」「それは大変ですね」と経緯を話したり相談したり。そのうち、弁護士を紹介してもらうなど、困ったときに助けてくれる存在でした。

結局、2年がかりで、親権も養育費も取れて無事離婚。1人で生きて行く覚悟も出来ました。今の夫とはその後も車検などで会うことが続き、子供好きであることを知ったり、誰に対しても親切で穏やかな人柄に好感を持つように。彼が好意を抱いてくれていることも勘づきましたが、やっとの思いで離婚した直後でしたし、何より子供がいたので気持ちが躊躇していました。

でも家族で会うことになり、思いのほか子供たちは「おじさん」に懐いたのです。回を重ねるごとに、「お父さんになってくれるといいな」とも言うように。何の打算もなく、深く考えもせず、直感で「この人なら私たちを守ってくれる」と確信するようになりました。

プロポーズがあったかどうか忘れてしまうほど自然でしたが、夫が「愛する人の子供なんだから愛することができる」と言ってくれ、子供たちが12歳、離婚後2年で子連れ再婚。その言葉通り、自分の子供のように100%愛情を注いでくれ、子供たちも実父のように頼りにしてきました。いつも家族単位で行動し、とても自然。私は夫に感謝の想いでいっぱいで、夫が望むことは出来る限りやりたいと、毎週日曜日は義父母の元を訪れ、かれこれ8年になりますが、介護を続けています。

結婚は相手の痛みを感じ、相手のために最大限の努力をすること。夫婦の間に真の愛情が芽生えていれば、子連れ再婚でもうまくいくと思います。

25歳になる長女が来年結婚することになりました。先日その長女が「お父さんが私のお父さんで本当に良かったと思っているよ」と言ってくれました。主人は主人で長女の花嫁姿をとても楽しみにしています。

調停中、元夫の態度を見た家裁審判官に「あなたほど気の毒な方はいない」と言われたほど、最初は不幸な結婚でした。が、私は人生を諦めませんでした。離婚しても、子供がいても、どんな状況でも、努力をすれば明るい未来が待っていると確信しています。

撮影・取材/安田真里 刺繍/みずうちさとみ ※情報は2014年掲載時のものです。

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