キンタロー。さん、26歳からの父親介護経験を振り返って
本来、大人が担うような介護や家事の責任を負っている子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれていますが、日本では、まだ実態は把握しきれていません。子どもであるがゆえに、行政に相談したり、支援を求めたりするすべを知らず、孤独な闘いをしている子どもは少なくありません。今回は、そんなヤングケアラーを見守り、支えようと活動しているみなさんから、お話をうかがいました。
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キンタロー。さん(40歳・東京都在住) タレント
諦めずにSOSを発信して。そうすれば、きっと
力になってくれる大人に繫がれるから
力になってくれる大人に繫がれるから
キンタロー。さんがお父さんの介護をしていたのは26歳のころ。「実家は、テナント業を営んでいました。入居者の出入りが激しく、父は、空き部屋が出ると落ち込んでしまい、私が小学生のときに、躁うつ病を発症しました。当時は母が父を見ていましたが、26歳のときに突然他界。ショックで、父の病状は悪化しました」。大学卒業後、ダンス講師として大阪で働いていましたが、実家の事業を引き継ぐために、 愛知県に戻ったキンタロー。さん。「経営を手伝いましたが、父の心の病は仕事に起因するもの。妹と相談して会社をたたむことに。そして、一家を支えるべく、名古屋でダンス講師の職に就きました」。20歳の妹さんがお父さんを見ていましたが、「父は薬を飲んでいるのに、お酒も飲んでしまい、徘徊を繰り返しました。危なくて、目を離せない状況だったので、デイサービスを利用させてもらいました」。ところが、些細なことで他の利用者と喧嘩になり、「『預かれないので、明日から来ないでください』と言われてしまったんです」。そうなると、働きながら、妹と交代で父を見るしかありません。家事代行サービスも頼みましたが、料金が家計を圧迫しました。「市役所には何度も相談に行きましたが、父はまだ60代で身体障害はなく、見た目は元気。介護度判定の際も、なんでもできると答えてしまうので、要介護度が低く、どんなに説明してもサービスを受けられないんです。誰も助けてくれない、という恐怖を感じました」。
とにかく一家を支えなければと、不動産会社に就職しましたが、「職場にも、父から電話がかかってくる。クビになるのではないかとヒヤヒヤしました」。そんなある日、病院の看護士さんがキンタロー。さんに、声をかけてくれたのです。「話を聞いてくれて『若いのに大変だったね』と言ってくれて。本当に救われました。その方が、親身になって支援について一緒に調べてくれ、そのおかげで老人ホームに入所できたんです」。キンタロー。さんは、そのときようやく不得意な事務仕事を辞め、夢だった芸人を志す決意ができました。「付き合っていた彼に、介護をしていると打ち明けると、彼は去っていきました。大切な人を失いたくなくて、介護のことを他人に言えなくなりました。また、ときには親切な人に会えたと思ったら、宗教や保険の勧誘だったことも。それでも勇気を出して、助けて、と言い続けたおかげで支援に繫がりました。今はSNSなどの手段もあります。諦めずに声を上げ続けてください。力になってくれる大人は必ずいるはずです」。
撮影/最上裕美子 取材/秋元恵美 ※情報は2022年3月号掲載時のものです。
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