【パラサイクリング杉浦佳子選手】パラスポーツに全てを捧げた選手や家族の「パラリンピアン」STORY 

障がいがあると「できない」「危ない」と思われがち。しかしパラリンピックでは障がいを感じさせない迫力あるプレーに歓喜するはず。耐え抜いた先に得るものがあると知っている選手たちは、新型コロナウイルスによる延期も〝プラス1年〟の力に変えました。何度も壁にぶち当たり、乗り越えて巡り合ったパラスポーツに全てを捧げた選手や家族の、試合では見ることができないSTORYを紹介します。

事故で高次脳機能障害と右半身まひの後遺症。「自転車は無理」を可能にしたのは〝思い込み〟でした

パラサイクリング代表 杉浦佳子選手(50歳・東京都在住)

杉浦佳子さんは東京パラリンピックの二輪自転車競技の金メダル候補です。’16年45歳のときにロードレース大会で落車し、高次脳機能障害と右半身まひの後遺症が残りました。「脳挫傷と脳出血さらに全身粉砕骨折という大けがでした。意識を取り戻したのは1週間後。脳へのダメージは大きく、母親以外の記憶はほぼなく、字も読めませんでした。医師から家族へは“一生、施設暮らしだろう”と告げられていた程ひどい状態でした」。
そんな杉浦さんが驚異の回復を遂げた理由は、リハビリにしっかり取り組んだことです。「体力の回復に、エアロバイクを使いました。有酸素運動なので、脳の回復にも良かったのだと思います。さらに記憶の回復のために、漢字や計算ドリルもこなしました。一役かったのは、友人からのメールでした。写真つきのメッセージを見ても、字が読めません。でも見たことはあるんです。そこで、写真から想像し、思い出していきました」。
回復する中で、杉浦さんは趣味のトライアスロンをやりたいと思うように。「医師からは“自転車は難しい”と言われていましたが、乗れちゃったんです。“乗りたい! 乗れる!”という強い思い込みがあったからだと思っています。思い込むって大事ですね」。
自転車に乗れるようになったことで、パラアスリートへの道が開きました。「知人からパラリンピックに出たら?と勧められたのです。けれど当時の私
は“自分は障がい者ではない”と思っていました。リハビリの先生に話すと『立派に障がい者だからパラに行っておいで』と後押しされました。そこで国際自転車連合(UCI)で判定を受けることに。すると、5段階中の3段階の障がい程度と判定され大きなショックを受けましたね」。
事故から約1年半後の’17年8月UCIパラサイクリング世界選手権大会に出場。杉浦さんはロードタイムトライアル種目で金メダルを獲得。さらにロードレース種目で銅メダルを獲得しました。“彗星のごとく現れたロードの女王”として、パラサイクリング業界を大いに沸かせました。
パラリンピックでは、金メダルを目指します。「1年延期でモチベーションを維持できるか不安でした。そんな時に自転車競技の元オリンピアンにアドバイザーになってもらいました。“1年あれば、どうにでもなる”と、その方のサポートの下、秒単位の練習メニューを日々こなしています」。金メダルに向け、気合い十分な杉浦さんです。

    パラリンピックに向け、日々、秒刻みの練習に励んでいます。
    ’17年、’18年開催のUCIパラサイクリング・ロード世界選手権で獲得したメダル。
    同大会で金メダル獲得者に授与されるウェア。優勝年のレースでは、着用必須なのだそう。
    いつも応援してくださるファンの方からいただいた小物入れ。メダルやウェアを入れています。
    初対面のサイクリストとも気軽に語らいます。( 撮影協力:CROSS COFFEE)
    ’10年、家族全員で出場した富士ヒルクライム。40代女子で2位という好成績でした。

撮影/BOCO 取材/髙谷麻夕 ※情報は2021年8月号掲載時のものです。

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