【パラリンピック・陸上】鈴木徹選手の妻・麻美さんが語った家族の言葉

VERYで掲載中の人気連載企画「家族のコトバ」。昨年パラリンピック延期決定前に取材を行い、2020年VERY4月号にて掲載していた鈴木徹選手の妻・麻美さんのインタビュー内容を、パラリンピック開催を前にWEBにて再掲載します。

 

※以下掲載中の情報は2020年VERY4月号「連載・家族のコトバ」誌面掲載時点のものです。

今夏、6度目のパラリンピックに出場する陸上・鈴木徹選手の妻、麻美さん。夫の競技生活を支えて20年目。その原動力になるコトバとは?

■ Profile

鈴木麻美(すずきあさみ)さん

1975年、山梨県生まれ。2児のママ。 高校時代、恩師の勧めで看護師を目指し、 看護学校卒業後、山梨県内の病院の整形外科に勤務。 担当患者だった鈴木徹氏と、2005年に結婚。 現在は、県初の循環器領域の認定看護師として 山梨県内の病院に勤務。夫・徹氏は、 今夏のパラリンピックに出場(6大会連続)が内定。

■ 夫のコトバ

「俺、また次(東京2020)目指すわ」

メダルがすべてだとは思いませんが、夫の努力の証しの一つになるならば、神様、そろそろ取らせていただけませんか?という気持ちです。

夫は18歳で右膝下切断
出会いは病院でした

東京2020は目前。夫・鈴木徹が、パラリンピック陸上競技の男子走り高跳びに6大会連続出場が内定しました。

出会いは、患者と看護師として、夫が18歳、私が23歳のときでした。高校の卒業式目前、夫は自動車事故を起こしました。ガードレールが脚に食い込み、レスキューが出動するほどの凄惨な事故。当時私が務めていた山梨県内の病院に、搬送中の救急隊員から「下肢切断の可能性大」「まだ18歳で、スポーツ推薦で大学進学を控えた高校生」という情報も。夫はハンドボールで国体3位という成績を残していました。誰でも突然体の一部を失うことは辛いことだと思いますが、特に術後、精神的なケアが必要になるかもしれない、そう判断した看護助長は、看護師3年目でリーダーという役職に就いたばかりの私を指名しました。まだまだ18歳。“輝かしい未来があった人”ではなく、“ある人”になってもらいたい。看護師としてどうサポートできるのか、身構えたことを覚えています。

初挨拶は事故から3日後、麻酔から覚めたとき。その時点ではまだ繫がれていた右脚を、これから失うこと。その後の治療やリハビリの辛さ。それらに対峙していくことを考えると、思っていた以上に若いなというのが第一印象でした。

実際に始まった手術・治療は、壮絶。少しでも脚の長さを残すため、手術を数度にわたってくり返し、貧血や感染症に苦しむ日々。私は、ただ話を聞き、気休めのウソはつかない、真摯に向き合うことだけを考えていました。しかし、どれだけ当たり散らしたって、泣いたっていい状況なのに、彼は、泣き言ひとつ言わない。それどころか病室でハンドボール選手時代のビデオを観ながら、こう聞くんです。「また走れるようになるかな?」って。彼の言う「走る」は一般人の走るではなく、アスリートとして再びビデオのなかの自分と同じように走ること。いやいや、君ね、まずは立ち上がるところからなんだよ……と心の中で思いながら、「義足で走っている人もいるよ」と答えるのが精一杯でした。でもこの頃から「俺、パラリンピック出るわ」とさらりと宣言。事故からまだ2カ月足らずでした。

入院から3カ月、東京のリハビリ病院に転院するとき、彼から連絡先を渡されました。パラ宣言もそうですし、この連絡先の件も、彼はどこまで自信家なのかと思わず笑ってしまいました。真逆で、消極的なタイプだった私。自分にはない、現実離れした彼のポジティブさが心地良く、次第に惹かれていたのかもしれません。以前、夫がテレビ番組で、入院中私に「脚1本くらいどうってことない。私はもっと大変な患者さんをたくさん看てきた。命が助かったんだから頑張ろうよ」と言われ、人生が大きく変わったと話していたそうなのですが、今考えると結構なこと言っていますよね……。でも彼だからそう励ましたのだと思います。

お付き合いが始まったのはその数カ月後。携帯メールとは別に、毎週のように手紙のやりとりをしました。初めて彼の弱音を聞いたのもこの頃。義足でリハビリを始めれば、自分だったらすぐに歩けて、走れるようになると思っていたようですが、義足をコントロールすることは 彼のような元々鍛え上げられた肉体をもってしても難しいもので、最初は立ち上 がることすらできなかったのが相当ショックだったよう。その分、3カ月かけてようやく歩けるようになった嬉しさも手紙には綴られていました。

ロンドン、リオでは4位入賞。自己記録は2m02。2mジャンプを成功させてメダル獲得が夫の目標。

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■ 息子たちのコトバ

「同じことに努力し続けるパパってすごいよね」

 

パラアスリート生活の始まり
メダルまであと一歩!

リハビリ病院での入院中、素晴らしい出会いがあり、彼は陸上の走り高跳びの練習を始め、大学にも復学。持ち前の身体能力を生かし、なんと2000年のシドニーパラリンピックに出場するまでに。4年後のアテネにも出場。しかし、まだ大きな実績を挙げていないパラ選手に簡単にスポンサーがつくわけはなく、競技を続けるため、彼は大学卒業後の約2年間はスポンサー探しに明け暮れました。その間は、私もつくば市の病院に転職し、同棲しながら主に私の収入で生活。彼はそのことが悔しかったそうですが、同時に今でもとても感謝してくれています。

病院での出会いから7年、私たちは2005年に結婚しました。2007年に長男、2009年に次男が誕生。世界で2人目の義足で2.00メートルを跳んだジャンパーとして注目されたこの頃から、ありがたいことにスポンサーが増え始め、安定した競技生活が送れるようになりました。

息子たちは、バスケットボールをやっています。自宅の庭で、パパと息子3人で練習することも。

その後も私は看護師を続けています。 夫は、普段の練習に加え、海外遠征や全国各地での講演会で、月の半分も家に帰らないことも。「大変ね」と仕事をしながらのワンオペ育児を心配していただくこともありますが、共に好きなことを仕事にできているのだから、家事・子育てはできるほうがやればよいと考えています。だからこそ、互いに帰宅したら父親と母親に徹する。夫がスポーツ選手だからといって、家では何もしなくていいという感覚は我が家にはありません。

これまで夫はシドニーからリオまで5度のパラリンピックに出場し、いずれもメダルまであと一歩。不本意な内容で終わってしまった前回のリオは、競技が終わり会場を引き上げていく夫の顔は、心ここにあらずといった表情。日本に帰国後も心の整理がつかないのか、初めてこの人どうなっちゃうんだろう……と心配しました。どこまでも強くあろうとする夫に「こんなときぐらい、泣いたっていいんじゃない?」と声をかけました。

少し時間が経ったとき、さらっと「俺、東京目指すから」と。このコトバにホッとしている自分がいました。たしかにまた4年間、私も息子たちも大変な生活が始まります。でも夫には、いつか本当に肉体と精神の限界が来たと思うときまで、挑戦し続けてほしいのです。

子どもたちも随分自分たちでできることが増え、助かっています。地域の皆様から応援の声をかけていただくのがちょっぴり恥ずかしい年頃。でも父親のすごさもわかってきているようで、「ハンドボ ールと走り高跳びだけはやらない!」と言ってみたり。天候が悪い日も、怪我をしているときも、それでもトレーニングを長年毎日欠かさない父親を見て、「同じことにずっと努力するってすごいよね」と。母としては、何メートル跳べたからすごい、メダルを取れたからすごいではなく、その過程の努力から何かを感じ取ってくれていることを嬉しく思います。

先日、次男の小学校の全校集会で校長先生が、夫のパラ出場が内定したことを皆の前で発表してくれたとき、お友達がすごく大きな拍手をしてくれたそうです。帰宅後、それを嬉しそうに夫に報告する様子を見て、愛おしさが増しました。

パパが義足であることになんの疑問も持っていない息子たち。最近は、生活用と競技用の素材の違いが気になるよう。

■ 親友のコトバ

「麻美の姉御肌が鈴木家の強みだね!」

 

ともに向上していける関係
それこそが私たちの夫婦像

私自身は昨年、看護師としての向上のため、山梨県で初めて循環器の認定看護師に合格しました。半年間、毎日神奈川の大学病院へ授業を受けるため往復4時間かけて通い、受験資格を得ました。この期間は、夫も試合以外の仕事を極力控え、家のことを全面的にサポートしてく れました。ともに向上していける関係、これこそが我が家の強みです。

本当はもっとかいがいしくスポーツ選手のサポートができる妻のほうが、夫も嬉しかったのかなと思うこともあります。そんなとき、中学からの親友・さおりは、「麻美の姉御肌なところは、徹さんを支えているよね」と、私のことをごくごく自然に褒めてくれ、私を肯定してくれます。夫は今年40歳。陸上選手としては引退を考えてもおかしくない年齢ですが、この夏の東京では、集大成なんて思わないでほしい。ただそのときの最善を尽くしてほしい、悔いのない大会にしてほしい、それだけです。親子3人で、パパの勇姿を見届けたいと思っています。

中学の卓球部でダブルスを組んでいた親友・志田さおりさん。疲れたときにふと会いたくなる人。

鈴木さんのHistory

1. 高校卒業後、看護学校へ進学。21歳で看護師に。
2. 遠距離交際中は、携帯メールがあるにもかかわらず、お互い素直な気持ちをぶつけられる手紙を頻繁に交換。今でも2人とも大切に保管していて、今回久しぶりに読み返したら、ピュアな思いで溢れていました。
3. 挙式はフィジーで。披露宴はお互いの出身地・山梨で。5歳年上の姉さん女房に。
4. 長男と次男を出産。次男出産後は、パートタイムで看護師に復帰。
5. 前回リオは息子2人も現地で応援を楽しみにしていたのですが、時差ボケに耐え切れず、競技開始直前に寝てしまうハプニング!
6. 半年間の猛勉強の末、県初の循環器の認定看護師に合格。

 

撮影/吉澤健太  ヘア・メーク/太田瑛絵〈nude.〉  取材・文/嶺村真由子  編集/磯野文子

※掲載中の情報は2020年VERY4月号「連載・家族のコトバ」誌面掲載時点のものです。

 

■鈴木徹選手の出場種目スケジュール■

「陸上 男子走高跳 T64」
2021年9月3日(金) 9:30 – 12:55

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