ハローキティ3代目デザイナー 山口裕子さんからのメッセージ「年齢なんて気にしない。私は『私』を生きればいい」<後編>
令和元年に誕生45周年を迎えたハローキティ。日本のみならず、世界中から愛されるキャラクターにした立役者が、1980年に3代目デザイナーに就任した山口裕子さん。毎日ハローキティと会話をし、「私がキティをどうするかではなく、キティがしたいことを私は手伝っているだけ」という山口さん。エイジレスの魅力に迫ります。
カフェでオーダーするのは一年中アイスコーヒー。大学生のとき、喫茶店をやっていたこともあるほどコーヒーの味にはうるさい。
祖母の格言を守り朝風呂でリラックス
私の一日はお風呂に入ることから始まります。祖母から「長生きをするためには毎日湯船に入れ」と言われていたので、30分はゆっくり浸かってリラックスします。お風呂から上がったら、即シートパックをぺたんと貼って、そのままパソコンに向かい、出社前に1時間程度メールチェック。その後、乳液、美容液をつけますが、すべてシャネルを使っています。というのも、私は化粧品のにおいが苦手で、香りの合う化粧品を探していたら、シャネルに行き着きました。ファンデやメーク関係もすべてシャネル。口紅の色も決まっていて452番。ただ、チークだけはこだわりがあって、キラキラも入ってるナーズの4023。あと、日焼け止めは夏に限らず一年中欠かしません。今はカネボウのALLIEを使っています。 食生活で意識して毎日取るのは飲むヨーグルト。コンビニで買えるドロドロ系の濃厚なものを飲んでいます。 基本は1日2食で、家にいるときは、コンビニにもお世話になっていて、2.5次元舞台の若者に教えてもらったパスタサラダがお気に入り。栄養バランスもよくおいしいのでリピートしています。コロナ禍で行けなくなりましたが、それまで夕飯はほぼ外食。西麻布周辺のレストランが行きつけで、イタリアンの「アッピア」がお気に入り。長年通っています。
堅い職業だった両親への唯一の親孝行は取締役昇進
教師の父と日本銀行に勤める母、歳の離れた妹と4人家族。高知で育ちました。両親は2人とも算盤が得意で、小学生のとき、「試験があるから算盤を教えて」と言うと、「これからは算盤が必要じゃない時代が来る」と言ってまったく教えてくれなくて。ある意味、時代を読んでいる両親でした。 中学生のときはブラスバンド部で、ピアノも習っていたので、両親は音楽の道に進ませたかったようです。ところが、美術の先生に「君はデザイナーになったほうがいい。今後、広告デザインなどをするグラフィックデザイナーという職業が台頭してくるから」と。わけがわからないながらもすっかり暗示をかけられ、高校生になるとデッサンを習いに行きました。コンクールに作品を出せば毎年賞をいただき、「美大に進みたい」と言うと両親は大反対。でも、最終的には女子美術大学に入学しました。 就活の段階になって、当時四大卒の女子大生は短大生に比べて圧倒的に不利。しかも就職難の時代で、魅力的な会社には出合えませんでした。 ある日、学校の掲示板にサンリオの募集があり、「体力に自信がある人」と。そこに惹かれて試験を受けたら、幸い内定をいただきました。 そのときはまだサンリオも上場しておらず、デザインの仕事が終わった18時になると越中島にあった倉庫で毎晩出庫作業の手伝いをしました。「体力が必要」というのはそういうことだったのかと納得。それが嫌で同期はみんな辞めていきましたが、夜間の仕事では賄いが出るんです。当時貧乏だった私は、「晩ご飯が食べられるなんてありがたい」とへっちゃらで。台車をスケートボード代わりにしていつも怒られていましたが、楽しかったですね。 30代になると余裕も出てきて、憧れの「MILK」の服も着られるようになりました。今は「MILK」のデザイナーだった方が独立して立ち上げた「ジェーンマープル」を着るようになりました。「大人になったら大人っぽい服を着なさい」と言われるのが私はいちばん嫌。年齢なんて関係ない。いつも自分が好きな服を着て、自分がやりたいことをやっているから、私はとても幸せです。 親の言うことをまったく聞かなかったので、両親は心配していたと思いますが、50歳で取締役に昇進したときはとても喜んでくれました。昇進日の前日に電話をして、父に「明日の新聞を見てください」とだけ言って切りました。すると翌日、「大したもんだ」とひと言。素っ気ないながらも、私を認め、心から喜び、褒めてくれているのが伝わってきましたね。
私が芸能事務所の社長で キティはタレント
美しさって、自分をちゃんと持って、やりたいことをやっている人。私自身、つねに世の中の流れと一緒に歩んできたように思います。そこに結婚や出産はまったくなかったですね。 いちばんの願いは、みんなが仲良くするってこと。それはサンリオの企業理念でもあります。戦争なんてとんでもない。世界中のみんながもっと助け合い、楽しく過ごせないかと考えます。それにキティがひと役かってくれると嬉しいですね。 私とキティは、私が芸能事務所の社長でキティがタレントという関係。キティに何かをやらせているのではなく、キティがやりたいことを私が手伝っているだけ。キティが新しい服を欲しいと言えば作る、そういう関係なんです。 将来の夢は、キティを歌手として大晦日のNHKの紅白歌合戦に出場させること。それにはヒット曲が必要だとプロデューサーに言われました。目下、その実現に向けて画策中です。
山口裕子さんの美の秘密③
グタールのプチシェリーは、肌ではなく洋服にひと吹き。パリでまとめ買いしていますが、100㎖入りボトルが半年でなくなってしまいます。チークはナーズの4023がお気に入り。
山口裕子さんの美の秘密④
起きているキティが一緒だと、「お姉さん、仕事してちょうだい」と、うるさく言われてしまうので、眠っているキティがちょうどいいんです。いつもベッドで一緒です。
山口裕子さんが40代に伝えたいこと
高校生の頃からガーリー好きはまったく変わっていません。年齢に合う合わないは関係なく、周りの目や声も気にすることなく、自分の好きなもの、可愛いと思えるものを身につけて、わが道を行くことが幸せな40代の秘訣!!Ⓒ1976,2020 SANRIO CO.,LTD.
●Profile 高知県高知市生まれ。女子美術大学卒業。サンリオに入社後、’80年にハローキティの3代目デザイナーに就任。’85年にハローキティをサンリオでトップセールスを誇るキャラクターに育てあげ、さらに’90年代にはマライア・キャリー、パリス・ヒルトンなど海外セレブにも愛される世界的大ヒットキャラクターへと進化させる。現在は常務執行役員キャラクター制作部長。
前編はここから
令和元年に誕生45周年を迎えたハローキティ。日本のみならず、世界中から愛されるキャラクターにした立役者が、1980年に3代目デザイナーに就任した山口裕子さん。毎日ハローキティと会話をし、「私がキティをどうするかではなく、キティがしたいことを私は手伝っているだけ」という山口さん。エイジレスの魅力に迫ります。
2021年3月20日 20:00
2021年『美ST』1月号掲載 撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/甲斐美穂 取材/安田真里 構成/和田紀子