マキタスポーツさんの語る「”男らしく”より”自分らしく”の時代」
「男らしさ」「女らしさ」という言葉、違和感を感じる人も多いのではないでしょうか。私たちを取りまくジェンダーバイアスを、子どもたちに伝えないようにするには、どうしたら…。そんなヒントを、4児の父でもあるマキタスポーツさんに聞きました。
(この記事は、VERY2019年9月号に掲載された内容です)
男なら泣くな、
が当たり前の時代に育ちました
僕は当たり前に昭和ヒトケタの親に育てられてきました。男らしさとか女らしさとか、こちらも疑問を持つこともなく、向こうも説明できる言葉もなく。男なら泣くな、女の子を泣かしちゃダメ、と当たり前に言われ、特に母親には「泣くのは男の恥」と。
――泣かなかったのですか?
僕はわりと涙もろい少年だったようで(笑)。小学生のときはずっと泣いていたようですね。なんだかんだで、いたずらをしたり、悪さをしては怒られて泣く、みたいな。商売やってる家で、寝たきり老人がいて、母は、家事、育児、商売、介護とストレスが結構たまっていて、感情的に怒っては、僕が泣いて、「男だろ」みたいなことを言う、というパターン。
今は、自分の価値観を
自分でつくるステージ
――いまは性別で人を判断することが憚られる時代ですが。
長女が高3、次女が中1。家の中では「もっと女らしい格好しなさい」とかそういうことは言いますね。「それパワハラ」みたいな娘からの返しがあって、「うるさいよ、ばかやろう」みたいな。そう言い合える信頼関係があるからであって、僕が同じことを外で「もうちょっと女の子らしい格好しろよ」なんて言えなくなった。ここ3、4年のことだと思います。それまでは、たとえば自分がやってるレギュラー番組のアシスタントの女の子とかを外見的なことでけっこういじってましたね。お笑いの世界はだいぶ世の中にくらべて歩みが遅く、ようやくそういう意識が芽生えてきたというか。
――話が通じる相手と信頼関係前提でのジェンダーいじりを以前から「闇男らしさ」「闇女らしさ」とおっしゃっていて。この話、時節柄、ここまでにしておきますが。
僕のコミュニケーションは基本的にそこに笑いがあるかどうか。男らしさ、女らしさで笑いを誘発するためで、本質的に男らしさ、女らしさを強要するのはタブーです。それよりも今、この混迷の時代、自分の行動の指針や価値観を自分でつくらなければならなくなった。ステージがひとつ上がりました。
――自分らしさ。
そうです。いちばん難しいやつですよ。昔は大雑把だった。抑圧もあったと思いますけど、「男らしく」「女らしく」で時間短縮ができた。
「男だから」「女だから」ではなく、
「あなたは何ができるんですか?」という時代
――お子さんにそのあたりは。
受験を控えた高3の長女にはけっこう理屈っぽい話もしていて。「男だからいい大学へ」「女だからお茶くみから花嫁修業」とか、そういう時代は何十年も前に終わっていて、今は「あなたは何ができるんですか?」というスキルの時代。
その上での学歴だから、男も女も関係ない、偏差値の高い大学に行けた人間は、勉強の努力の仕方、見通しの立て方とか、そういう自分に課す問題意識の打ち立て方をこなすスキルを持っている。それから逃げ回ってきた人間とは差がつくから、学歴っておまえが思ってるより役に立つんだよ、とかは言います。
家族の形は、各家庭の話し合いで
バランスを決めていかなくては
――そして、さらに4歳の双子の男の子がいらっしゃる。男3vs.女3。
戦力とはとても呼べませんが。お姉ちゃんたちから妹のように寵愛されたり、それを「うるせえ」とか言って、女社会でもまれて育つわけじゃないですか。喧嘩慣れしたやつは人を殺すまで痛めつけない、みたいな話がありますが、女の人が何をしたらいちばん腹を立てるかみたいなことの距離感早くから知って育つことになるので、男兄弟、剣道部、国士館、オフィス北野、というホモソーシャル的な世界で育って女性に対して僕が苦労してきたことはだいたいショートカットできるんじゃないですか。
――女きょうだいの中で育った男はモテますよね。扱いが慣れているというか、必要以上に女性に期待もしない。
ぼくは体罰上等の環境で育ってきた人間だったので、小さい頃は受けてきました。それも世の中の歩調に合わせて考えるようになりましたが、これも「女らしい格好しなさい」と同じで、あるべきだ、ということではなく、信頼関係がないとあり得ない。そして、「女の子に手を上げちゃいけない」っていうときに、この感覚ってなんだろうか、と思います。女の子は商品価値が下がるから、みたいな話がまかり通っていましたが。
――女は顔が命、しょせんルックスという話になってしまいます。
女性の商品性というか、消費される女性像というのは未だにあります。
――そもそも、生理や出産というハンデやリスクを抱えつつ、「女」「妻」「母」を使い分けて、その揺れの中で戦っていて……。
イクメン参加型というのは合理的だと思います。ただ、それは各家庭の中で、個別の話し合いでバランスを決めていかなくてはならない。とてもしんどい作業です。
――たしかに。
いまのSNS社会には、中途半端な解脱者がいっぱいいて、そういうこれ見よがしの成功例を見せられると、あの家はあんなにうまくいってるのに、という邪な気持ちが芽生えてくる。VERYもあまり「素敵なお父さん像」を喧伝しないでいただきたいと思います。
――たまの子どもの「送り迎え」をインスタにアップする〝なんちゃってイクメン〟も多くて……。
マキタスポーツ
1970年、山梨県生まれ。ミュージシャン、芸人、文筆家、役者。ミュージシャンの思考形態を模写する「作詞作曲モノマネ」を武器にライブ活動を展開。映画やテレビドラマにも多数出演。著書多数。かつてVERYで「天然パパ」という子育てコラムを連載していた。
取材・文・編集/フォレスト・ガンプJr.
*VERY2019年9月号「無意識で子どもに古い刷り込みをしていないかと、揺れる世代へこれからの時代の「女らしさ」「男らしさ」の伝え方」より
※掲載の内容は本誌発売当時のものです。