覚悟をもって夢に向かう子供のために、母としてできること|小野千恵子さん、娘達と向き合ってきた15年②
サッカー選手・小野伸二さんの妻であり、子育てがまだまだ進行中の母でもある小野千恵子さんは、昨年、結婚以来続けてきた専業主婦からモデルに復帰。それまでの間、大きな夢や目標に向かう娘さん2人をどうサポートしてきたのか? 今回はそのあたりを伺いました。
長女の習い事「フラダンス」はお稽古に留まらず、本格的なアスリート並み!
長女が3歳の夏休み、たまたま近所のサマースクールでアクティビティとしてフラダンスを習い、お迎えの時にママたちに発表してくれました。それが長女とフラの出合い。帰り道、長女が「フラを習いたい」と言ってきて。それからご近所のフラ教室を探して通うことになりました。
最初は「ただただ、かわいい」、そんなフラでしたが、成長とともにフラが好きで好きでたまらなくなった長女。本人の強い希望で、日本大会にもハワイ大会にも何度も出場しました。フラのコンペティション(大会)にはグループ部門とソロ部門があるのですが、初めてのコンペティションはグループのハワイ大会で小学校2年生の時。当時は背も小さく、一番ちびっこ。お姉さんたちに交じってのチャレンジで、とにかくついていくのに必死でした。その後、回数を重ねていくごとに、全国レベルのコンペティションにチャレンジするって並大抵なことではないなと。今後も続けていくにはフラを最優先していかなくてはいけない生活になるし、これは私も全力でサポートしていかなければ。と思いました。
その後、数回コンペティションを経験。小学校5年生の頃、ずっと目標だった全国大会のソロ部門に出場させていただくことになりました。そこからはレッスンはさらにハードになり、長女の生活は寝ても覚めてもフラ一色に。一年間の準備の後、準優勝をいただくことができました。とはいえ、長女はやはり優勝に対しての悔いが残ったのでしょう。しばらくたって「来年、再チャレンジさせてほしい」と言ってきました。一度準優勝をいただいたら、翌年は当然、優勝を期待されます。さらに練習はハードになり、またフラ中心の生活が一年間続く。それは一番長女が分かっていることですし、本人が覚悟を持って「やらせてほしい」と言ってきた時は、長女のことを誇りに思いました。これはもう、私もやるっきゃない。と。
次女は怖いもの知らずで何にでも飛び込んでいく楽天家な性格ですが、長女は真面目でコツコツ練習する努力家タイプ。体も精神的にも極限な長女をとにかく褒めて褒めて。励まして。の繰り返し。学校とご飯、寝ている時以外はずっと練習。アスリート並みの生活でした。夜遅くまで続く練習に、次女をパジャマのまま抱っこしてお迎えに行き、寝てしまった次女をママ友が抱っこしてくれていたこともありました。完全にキャパオーバーでもし夫が家にいたらほったらかしになっていたはず(笑)。その時ばかりは単身赴任で良かったのかも……と。とにかく前にある課題をひたすら全力でこなしていく、そんな毎日でした。
そんなプレッシャーに押し潰されそうな日々が続き、翌年の小学生最後の大会では、念願の優勝を頂くことができました。長女の4年越しの夢が叶った瞬間でした。
次女の習い事はミュージカル。「ライオンキング」にも出演させていただきました。
ママたちって子供が幼稚園くらいになると「そろそろ何かお稽古をさせようかな」と思うようになりますよね。長女は3歳でフラと出合いましたが、次女は特にやりたいことがなくて、ずっとお姉ちゃんのお付き合いの毎日でした。次女も長女と同じようにフラをやらせようと習わせ始めたこともありましたがすぐに脱落(笑)。姉妹で性格が違う分、やりたいことも違う。当たり前ですよね。その後は無理に何かをやらせようとせず、やりたいことが見つかるまでは何もしなくていいや。と自由にさせていました。お稽古までつながらなくても、絵が描きたい。粘土がやりたい。歌を歌いたい。興味のあることを自由にやらせてみる。そこから「これはちょっと興味がある」「これは好き」「これはもっとやってみたい」という気持ちが自然に生まれてくるのかなと。
次女が小学校2年生の頃、学校行事での劇をきっかけに「ミュージカルを習いたい」と言ってきました。次女なりに「歌ったり踊ったりできることって何だろう?ミュージカルって楽しそう!」と思ったようです。やっと次女にもやりたいことが見つかり、高学年のお姉さんの紹介で、ミュージカル教室に通うことにしました。
4年生で歌の先生に薦められ、夫が住んでいた札幌の“劇団四季・ライオンキング”、ヤングナラ役のオーディションに応募。正直、記念受験のつもりでしたが、思いもよらず合格をいただきました。とはいえ、長女のフラのコンペディションの準備だけで手いっぱいな時期。次女を東京の学校から北海道の学校に転校させなくてはいけないし……、気が遠くなるほど大変なことだとは分かっていましたが、今まで長女にかなりの時間と労力をかけていたので、次女にやりたいことが見つかった時は、同じくらいの熱量でヘルプしてあげたい。と思っていました。
もともと私自身が楽観的な性格なのかな。「やってみたらきっとなんとかなる!」とポジティブに考えるようにしました。こんな風に子育てについて語らせていただく機会をいただきながら何なんですが、子育てのポリシーとかもあまりない方で……。その分、周りの人の意見がストンと入ってくるタイプ。歌やミュージカルの先生、劇団四季の方など、周囲の人の応援もあり、家族で頑張っていこうと腹をくくりました。なんだか一番大変な時期同士がぶつかっちゃって本当にあの時は記憶がないんですが(涙)。
もちろん、物理的に家族の協力がないと回らないと思い、まずは夫と両親に相談しました。夫は「自分もやりたいことをずっとやってきたし、好きなことじゃないと大成しない。でもやるからには必死でやりなさい」という考え。父と母は「なんでも協力するから甘えなさい」と言ってくれました。父と母には、高齢なのに何度も飛行機で東京と北海道を行き来、1カ月間滞在してもらったことも。そんなハードスケジュールも、文句ひとついわず快く協力してくれました。父はもともと趣味が多い人なのですが、今や孫たちの一番のファンでおっかけ(笑)。フラやミュージカルのビデオや写真を編集してコレクションするのが趣味で生きがいになっているようです。家族みんなに貢献できて感謝されて喜ばれる趣味ができて結果良かったのかも。あの時期は本当に大変だったけど、今となっては「みんなで頑張ったよね」ってよく話します。
ママ友にもだいぶ助けられました。私も遠慮している場合ではないので、グイグイお願いごとをしましたが、みんな自分の子のように快く助けてくれました。北海道の子役のママたちは、次女を自宅に泊めてくれて一緒にレッスンに連れて行ってくれたり、東京のフラのママたちも慣れない父や母の送迎をフォローしてくれたり連絡事項をLINEしてくれたり。こちらからお願いしなくても自然と手助けしてくれ、本当に周囲の人の温かさに救われました。子育てを通じ、自然と家族とも友人とも、あちこちでチーム感が生まれた気がします。
第3回「思春期、新たな世界ができつつある子供とどう接する?」は明日7月10日配信です。
資料提供/Leialoha Hula Studio 画像提供/小野千恵子 取材/石川 恵