16歳の天才トラックメーカー・SASUKEが描く30歳までの夢
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2003年生まれ。愛媛県出身。2歳でダンス、5歳で楽曲制作を始める。10歳でNY・アポロシアターの「アマチュアナイト」で優勝。2018年12月に「インフルエンザー」でメジャーデビュー。InterFM「SASUKE’s konnichiwa Radio」のパーソナリティも務める。
夢を叶えたいならアクションを起こさなきゃ
SASUKEくんの楽曲には、どこか懐かしさを感じるものが多いですよね。そういう懐かしいテイストのアイディアソースになるものは?
’80年代から’90年代はじめの日本のポップスの感じが好きなので、当時の音楽を聞いたりMVを見て、自分で1回やってみたいと思ったテイストは取り入れるようにしています。
現代のポップスからその感じがなくなったら悲しいなぁと思って、その年代の音楽のオマージュとして作ったのが「J‐POPは終わらない」です。
この楽曲は、「自分が’80〜’90年代の人」と思い込んで作りました。MV撮影でも当時のファッションやビジュアルを取り入れて、その時代の空気感が伝わるように監督と相談してこだわったんです。
ちなみに最初の「J‐POPは終わらない」のフレーズは弟の声です。そしてあくまでも“パクリ”じゃなくて“オマージュ”です(笑)。
そこ、大事ですよね(笑)。あと、どの曲もポップで聞きやすいなと思っていて。1回聞くとやみつきになる感じもあります。
そこは意識しているんです。ぼく自身の本来の趣味はかなりマニアックな音楽なので、それを曲にしてリリースしても聞く人ってほんのちょっとだなと思っていて。
たくさんの人に聞いてほしいから、より多くの人に受け入れてもらえるように“ポップさ”は軸にあります。だからと言って妥協しているわけじゃなくて、自分の中で納得できるまで曲作りにはこだわりますね。
わかりやすい歌詞と曲調に加えて、面白さやふざけている感じも、らしさを出すために大切にしていること。昔から目立ちたがり屋なので、存在に気付いてもらいたい、曲を聞いてもらいたいっていう気持ちは強くて。ポップだと思っていただけるのであれば狙い通りです。
稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんによるユニット「新しい地図 join ミュージック」への楽曲提供や、m‐floのアルバムへのリミックス提供もされていますね。自曲制作と楽曲提供では取り組み方も違いますか?
全部の曲に言えることなんですけど、制作途中で必ず止まるタイミングがあって。最初は本能的にというか、なにも考えずに作り始めるんですけど、そこから考える作業にシフトするんです。
その考えるタイミングで、楽曲提供のときはアーティストの雰囲気を意識して向き合いますね。
最近の活動を歌詞に反映してみようかなとか、ファンの方たちがピンとくる何かを入れてみようかなとか、アーティストやファンの方の気持ちも考えながら、楽しんでもらえるポイントを盛り込みます。みんなに喜んでもらえたらこっちもうれしいので。
大物とのコラボレーションだけではなく、ラジオやイベント出演など活躍の場が広がっていますが、東京に来ることは増えました?
東京に来るようになったのは2年前くらい。今までは東京と地元の愛媛、半々くらいだったんですけど、今月(8月)は1週間も地元にいなかったですね。
東京でも楽曲制作をするので、機材も持ち歩いていて大変です。常に大きいリュック4個分の荷物と一緒に移動しています(笑)。
昔は地元に機材ショップもCD屋さんもなくて、つまらんって思っていたけど、ここまで頻繁に東京に来るようになってからは、くつろげる愛媛もいいなって思えるようになりました。
イベントやライブでのパフォーマンスは緊張しますか?
あまり緊張しないタイプです。本番に支障が出ちゃうので意識的に何も思わないようにしています。いい意味で緊張感がないせいで間違えることもあるけど、やっぱり緊張はしないです(笑)。
デニム¥17,000(EDWIN/EDWIN カスタマーサービス)その他すべて本人私物
いつも着ている服を見ていると、16歳にしてSASUKEくんのスタイルがあるように思うのだけど、ファッションへのこだわりはありますか?
そこまでこだわりは強くないけど、10歳の頃、ダンスの本場でレッスンを受けるためにニューヨークに行ったとき、SupremeとSTÜSSYの本店に行って、服を見るのって楽しいなって思いました。
でもファッション情報を自分から取りに行くことはないですね。インスタで流れてくるものを見ている感じ。最近は東京に来る機会も増えたので、空き時間にいろんなお店に行って買い物もしています。
今の活動は本当に幅広いなと感じるのですが、最終的なゴールは何か設定していますか?
ぼく、やりたいことがいっぱいあるんです。イベントも開催したいし、TV番組もやりたいし、デカいスタジオがある家を建てたいとか、地元・東京・LAの3拠点を持ちたいとか…。
生ハムが好きなのでいっぱい食べたいっていうのもあるな(笑)。これを全部叶えようと思うと、それは有名になったほうができるから、とにかく多くの人に曲を聞いてもらいたいです。
SASUKEくん世代が「TV番組をやりたい」って言うのは意外でした…! もっと新しいメディアに興味があるのかと思っていたので。
そのときのタイミングで、大きな力を持っている場所で自分を発信したいんですよね。今のところはTVかなって思っています。
そういう将来のこととか、これからの自分については、常に考えているものですか?
それを考えるのは温泉が一番多いです。部屋でゴロゴロしているときではなく、景色を見ながらお湯につかっているとき。自然と無心になれて自分と向き合えるんですよね。
だから愛媛県内でもいろんな温泉地に行ったり、東京に来るときも大浴場がついているホテルをリクエストします。でもなかなか見つからないんですよね(笑)。
最後に、これからの夢や挑戦したいことはありますか?
大きくいうと3つあります。1つ目は世界の大きなステージで自分の曲を演奏して、歌って踊ってその場を盛り上げて歓声を聞きたい。そういうのが大好きなので。
10歳で出場して優勝したアポロシアターの「アマチュアナイト」の歓声は、今までの人生で一番すごくて忘れられない経験になっています。それを超える歓声をまた自分の力で作り出すことが目標です。
2つ目は、音楽に新しいジャンルを作りたい。今あるジャンルじゃなくて、新しいジャンルができてもいいよねって思うんです。その突破口はまだ見えていなくて、いろいろ模索中です。
3つ目は坂本龍一さんと曲作りすること。これまでポップスやエレクトロ、ピアノ曲まで幅広くやられてきている方とコラボレーションがしてみたい。ニューヨークにあるスタジオに1週間くらいこもって、坂本さんと曲を作りたいです。
その目標を叶えるためにやるべきことってどんなことだと思いますか?
夢や目標を叶えたいなら、想像してるだけじゃダメだって思っていて。それに向かって何かアクションを起こさなきゃと考えています。
5歳から音楽を始めて、気付いたら高1ですよ、ぼくも。ラジオをやったり、ライブに呼ばれたり、こうやってインタビューも受けられるようになって。
そういう今やこれまでの過程も忘れずに大事にしながら、節目節目で結果を残しつつ、30歳を迎えたいです。
目標を定めちゃうとどうしてもそこに向かってしまうので、自分の叶えたい夢や目標を意識はしつつも、「自分がやりたい」という気持ちを大切に、目の前のことに向き合っていきたいです。
撮影/石毛倫太郎 取材/坂本結香 編集/岩谷 大
※この掲載の情報はJJ12月号を再構成したものです。