同世代の女性騎手・藤田菜七子の強さの秘密

今月はじめ、JRA所属の女性騎手として初めて重賞を制覇したジョッキーの藤田菜七子さん。自分で選んだ道とはいえ、圧倒的に男性が多く厳しいプロの環境、女性というだけで特別視される葛藤…。そんな難しさを感じながらも、結果を出すことで少しずつ自分らしさを見いだせているようです。

【プロフィール】

1997年生まれ。茨城県出身。小学6年から乗馬を始め、JRAでは16年ぶりの女性騎手として競馬学校を卒業。2年目に女性騎手の年間最多勝利記録、3年目に通算35勝目を記録して女性騎手最多勝記録を更新。2019年は海外のレースに招待され、10月2日の第53回東京盃・交流GⅡでJRA所属の女性騎手として初めて重賞制覇を飾った。

ジョッキーとしてもっと勝ちたい。毎週勝ちたい。重賞でも勝ちたいです

2019年、藤田菜七子は〝世界〞で結果を残した。まずは6月。スウェーデンに渡って世界各国の女性ジョッキー10人が出場した「ウィメンジョッキーズワールドカップ」で優勝すると、その活躍が評価され、8月には世界で12人のトップジョッキーしか出場できないイギリスの「シャーガーカップ」に招待された。特にシャーガーカップは、世界中の競馬ファンが注目する招待レース。日本人の女性ジョッキーとしては、出場するだけでも史上初の快挙だった。

「世界なんてぜんぜん、まだまだです。スウェーデンで勝てたことは自信になりましたし、イギリスでは世界のトップジョッキーと一緒に乗ることができて、もちろんすごくいい経験になりました。ただ、正直に言えば、シャーガーカップは『いつか出てみたい』と思っていた夢の舞台で、まさか自分が出場できるなんて思ってなかったんです。だから…ん? 夢なのかな? みたいな感覚もあったりして(笑)」

大きな一歩だったことは間違いないけれど、それでも彼女は、真剣な表情で「まだまだです」と繰り返す。ジョッキーとして認めてもらうために、できるだけ多くの結果を出したい。その思いの大きさに、強さの秘密がある。

今からちょうど10年前、競馬との出会いは偶然だった。小学6年生のある日曜日、ぼんやりと見ていたテレビの画面を右から左に馬が走り抜けた。その姿に心を奪われ、直感的に「カッコいい!」と思った瞬間に運命は決まった。「体験」から始まった乗馬はすぐに「毎週末の楽しみ」に変わり、小学校の卒業文集には「ジョッキー(騎手)になる」と夢をつづった。大好きな馬に会える美浦トレーニングセンターは自宅から車で1時間ほど離れていたが、中学2年になると通う頻度は「週5」に増え、学校にいる時でさえいつも馬のことばかり考えていた。

決意はとっくに固まっていた。だから、迷うことなく競馬学校に願書を提出した。競走馬に乗る騎手「ジョッキー」を夢見てこの学校に入学した女性は彼女しかいなかったけれど、そんなことは少しも気にならなかった。

「もちろんジョッキーになりたいと思って競馬学校に入学したんですけれど、実際のところ、〝ジョッキーになった自分〞の姿はほとんど想像できていませんでした。馬には小学校6年生からずっと乗っていました。でも、本当の競馬を経験したことは一度もなかったので。競馬学校時代は『どうなるんだろう』ってふわふわしていた気がします。未来の自分をイメージできなくて」

デビュー当時の爆発的な人気には、藤田自身も戸惑ったに違いない。ジョッキーはもちろん、馬主も、調教師も、競馬場に訪れるファンもそのほとんどが〝男ばかりの競馬界〞だから、突然現れた女性ジョッキーが、まるでアイドルのように大騒ぎされるのも仕方がなかった。ジョッキーとしての藤田のすごいところは、そんな異様な状況の中でも着実に結果を重ねてきたことだ。

「自分が勝負の世界にいて、ジョッキーになったということをちゃんと理解したのはデビュー戦を経験してからでした。それまではよくわかっていなくて、デビューして、レースで何回も乗せてもらううちに『こういうものなんだ』とわかってきた気がします。〝競馬〞の面白さや楽しさ、難しさを知ったのはジョッキーになってから。それからはもう、馬に乗ることが好きな自分ではなく、純粋にジョッキーとして馬に乗ることを楽しんでいる気がします」

デビューイヤーの2016年は中央競馬で6勝。2年目の2017年は14勝を記録して女性ジョッキーの年間最多勝利記録を更新。3年目の2018年は通算35勝目を記録し、わずか3年で女性ジョッキーとしての通算最多勝記録を塗り替えた。 それでも彼女は「まだまだ」と言い続ける。

「競馬をやっているのはジョッキーだけではなく、もちろん馬がいて、馬主さんがいて、調教師の先生がいて、他にも関わってくださる人がたくさんいます。ジョッキーは〝最後に乗る〞だけ。そうやって多くの人の支えがあって自分が乗せてもらっているから、これまでに出場した中にも〝勝てたレース〞はあったと思うし、もっともっと勝ちたいと思っているんです。だから、まだまだ。もっともっとです」

『18歳でもプロはプロ』という意識はありました。責任を持ってやらないとと思っていたので

実は、インタビュー開始前のメーク中に、彼女の電話が鳴った。ぼんやりと聴こえてきたその会話から察すると、たぶん相手はとても目上で、日頃からお世話になっている人だったのだろう。その丁寧な口調と大人っぽい対応に驚かされた。

「ありがとうございます(笑)。私は普通の高校にも行ってないので、世間一般の常識みたいなものはわからないことばかりなんです。ただ、18歳でプロのジョッキーとしてデビューした時から、『18歳でもプロはプロ』という意識はありました。そこはちゃんと、大人の責任を持ってやらなければいけないと思っていたので。まだ3年半ですけれど、18歳の頃よりは成長できたんじゃないかなって思います」
 
18歳のデビュー当時と今とでは、表情がまるで違う。そう言われることも増えてきたという。

「1年くらい前に、お世話になっている根本康広調教師から『勝負師の顔つきに変わったね』と言われました。それはすごくうれしかったんですけれど、競馬の場合は毎週が真剣勝負なので、もしかしたら、だんだん怖い顔になってるかもしれないですよね(笑)」

若くてもプロ、女性でもプロだから、あくまでも結果にこだわって勝てるジョッキーにならなきゃいけない。もしかしたら時に怖い顔をしなければならないほど真剣に馬と向き合い続けているからこそ、彼女にしか見えない世界もあるだろう。撮影の合間、厩舎からこちらをのぞいていた馬に近づき、鼻をなでて声をかけた藤田の姿を見てそう感じた。

「地上に立って〝下から見る馬〞と、乗馬中に〝上から見る馬〞は、ぜんぜん違う馬に見えるんです。同じ馬でもぜんぜん違う。ただ、レースのときは私も変わります。私の仕事は馬を速く走らせることだから、どんなに可愛い馬でもムチで叩かなくちゃいけない。馬に乗っている時は、ちゃんと言うことを聞いてもらえるような自分じゃなきゃいけない。そういう意識はあります」

馬と心が通じ合う。馬と一緒に、飛ぶように走る。そう感じる瞬間はあるのだろうか。

「一緒に飛んでいると感じたことはないけれど、同じ馬に何回も乗っていると、なんとなく気持ちがわかるようになる気がします。こういう時、この馬はこう思ってるんだろうなって、通じ合うというか『ちょっとわかってあげられたかも』と思える瞬間はあるかも…です」

もちろん藤田も、競馬を離れれば22歳の女性だ。レースを行き来する新幹線での移動時間はその週に騎乗する馬・騎乗した馬を映像でチェックする予習・復習の時間と決めているけれど、オフの日は友だちとショッピングに出かけたり、好きな音楽を聴いてリフレッシュしている。最近のお気に入りブランドは『BLUE LABEL CRESTBRIDGE』。もちろんコスメにも興味がある。

「そういえば、ちょうど昨日、買い物に行きました。ワンピースとコスメを買ったんですけれど、やっぱり、ショッピングは大切な気分転換ですね。音楽は北村匠海くんがいるDISHとか、板垣瑞生くんがいるM!LKが好きです。あ! そう言えば、JJのウェブに板垣くんの記事がありましたよね?カラオケに行くこともあります。うーん、でも最近の歌はあまり詳しくないけど、aikoさんを歌ったりします」

 一緒に買い物に行くのは中学時代の友だちが多い。22歳と言えば、大学生活の最後の1年を満喫
する年だけれど、今の自分にない〝普通の生活〞に対するあこがれはないという。

「競馬学校に通っていた頃は、中学時代の友だちを見て『私も普通の高校に行ってみたかったな』と思うことはゼロじゃなかったです。でも、ジョッキーになった今は、そういうことをまったく思わなくなりました。むしろ、ジョッキーになって良かった、ジョッキー以外には考えられないと思うこともあって」

 馬に乗ることが大好きで競馬学校に通い、ジョッキーになろうと心に誓った。でも、自分以外に女のコがいない競馬学校では『普通の生活を選んだほうが幸せかもしれないよ』とアドバイスされたこともあったし、その言葉を聞いて「すごく難しい気持ちになった」という。

デビューする前も、デビューしてからも、取り上げられるのはいつも〝女性ジョッキー〞であることばかりだった。膨らみ続ける人気とまだ何も結果を残していない実力のギャップに直面して、息苦しさを覚えた時間もあったかもしれない。でも、22歳になった藤田の表情は、18歳の頃のそれとはまったく違う。

「難しいなと思います。『1人のジョッキーとして見てもらいたい』という思いと、『女性ジョッキーだからこうやって取り上げてもらえる』ということも理解しているので…。でも、きっと、私だからできる仕事があるかなと思っていて」

ずっと探してきたのは〝女性ジョッキーとしての自分〞でも〝ジョッキーとしての自分〞でもなく、〝自分らしい自分〞かもしれない。

「そうかもしれないです。自分らしさ…。本当にそう。きっとそれは、これからもずっと同じだと思います。今は目の前のことでいっぱいだけど、もっと大人になりたいなって思います。自分はまだまだ子どもだなと思う。もちろん、ジョッキーとしてはもっと勝ちたい。毎週勝ちたい。重賞でも勝ちたいです」

このインタビューから2週間後、藤田は初めて重賞を獲った。もちろん女性騎手としては史上初の快挙で、直後のフラッシュインタビューで盛大な拍手を受けると思わず涙が出た。それでも彼女は、こう思っていたに違いない。

「まだまだです! もっと勝ちたいです!」と。

撮影こぼれ話

当初の予定日が台風の影響で中止になり、その翌週に行われた撮影。当日も雨模様だったのですが、撮影が始まるタイミングでは少しの晴れ間が! 右の写真は馬房の馬に話しかけている様子。スタッフがコンタクトしても興味を示さない馬が、藤田さんとは意思疎通ができているような…。さすがジョッキー!という瞬間を目撃できました。

 

撮影/松本昇大 ヘア・メーク/恩田 希〈SHISEIDO〉 スタイリスト/岡本純子 取材/細江克弥 編集/岩谷 大
※この掲載の情報はJJ12月号を再構成したものです。