倉田真由美さん(53)『がんと闘わない』選択をした夫から受け取った「どう生きるか」のメッセージとは?
どんなに仲のいい夫婦でも、一緒に死ぬことはできません。いずれ、どちらかが先立ち、どちらかが残されるのです。そのとき、悲しみや寂しさの中からどう立ち上がるのか……今回は、ご経験された方々にお話をうかがいました。すると、伴侶からのバトンを受け取って、前に進み続ける妻たちの姿が見えてきたのです。
倉田真由美さん 漫画家
53歳・東京都在住

“くらたま”の愛称でコメンテーターとしても活躍する漫画家。夫は映画宣伝プロデューサーの故・叶井俊太郎氏で、2児の母。
抗がん剤を使わなかった夫の生活を
一つの例として 知ってほしい
一つの例として 知ってほしい
夫の異変に気付いたのは、’22年5月。病院での最初の診断は胃炎でした。薬を飲んでも不調は治まらず、別の病院を受診したところ、黄疸が認められましたが、原因はわからないとのこと。3軒めの国立病院で、ようやくすい臓がんと診断されました。「何もしなければ余命は半年から1年と告げられ、抗がん剤でがんを小さくしてから切除する『標準治療』を勧められました」。
がん専門病院でセカンドオピニオンを受けましたが、結果は同じでした。「あとで調べてわかったのですが、一般的な大病院では標準治療を行うため、それ以外の治療法について話を聞くのは難しいんです」。
そこで、抗がん剤治療を勧めない近藤誠医師のセカンドオピニオン外来を受診。「先生は、『半年では死にません。1年後くらいからだんだん状態は悪化するでしょう。抗がん剤は弱るだけだから、好きなものを食べて好きなことをしなさい』と」。
その後も、他の治療法を求めていくつもの病院を回りましたが、次第にご主人は、延命は希望しない、抗がん剤はしないと気持ちを固めていったようでした。「最後、〝神の手〟と呼ばれるすい臓がん手術の名医の診察を受けました。すると、『手術ができれば5年生存率は2~3割』とおっしゃったんです。3割という高い数字はこれまで聞いたことがなく、先生は相当腕に自信がおありなのだ、一筋の光が見えた、と私は感じました。ところが診察後、夫は『俺、絶対にやらないから』ときっぱりと言いきったんです。そのとき、妻であっても夫の人生に責任とれない。夫の選択を受け入れるしかないと思いました」。
それからのご主人は、大好きな仕事をし、いつもどおりに家事をし、食べたいものを食べ、飲み会にも出かけ、家族旅行もしました。ただ、痛いのだけは嫌だと、胆管の詰まりをとるためのステントを入れる手術を受け、また、食事ができるようにと胃と小腸をつなぐバイパス手術も受けました。「体が痛むと言えば、マッサージなどはしましたが、私も夫にかかりきりではなく、仕事もしていました。最期の1週間は自転車に乗れなくなったので、私が体を支えて本屋に行ったりもしましたが、亡くなる前日まで自分でシャワーを浴びていましたし、寝込んだのも最期の1日だけでした」。
そして’24年2月、家族に看取られ、ご自宅で逝去されました。
倉田さんは、’24年末から闘病記録をもとに執筆を始めました。「がんにはいろんな治療法があり、どれがいいのかはわからない、自分で選ぶしかないのだと知りました。ところが、夫のように標準治療を受けず、抗がん剤を使わないで『がんと闘わない』選択をした場合、どんな経緯をたどるかについての情報が全くなかったんです。そこで一つの例として、夫のような生き方、死に方があるのだということを知ってもらえたらと思い、記録をまとめました。
夫は、私にとって面白くかけがえのない人でした。彼は私が思いつかないような考え方をしたり言ったりして、私を笑わせました。男女の仲というより、『父ちゃん』『ママ』という役割がぴったりだった。夫との結婚以前と以降の私は物の見方も感じ方も全く異なりますし、今も喪失感は消えません。
彼は『いつ死んでもいい。やりたいことはやった。悔いはない』と言っていました。誰だって、いつ死ぬかはわからない。だから、夫のように、全く悔いを残さないよう、やりたいことをやりつくして毎日を生きようと、今は思っています」。

<編集後記>なんて素敵なご夫婦。倉田さんの寄り添う姿に感動!
撮影は、著書の出版元で、古書販売もする「古書みつけ」さんでさせていただきました。趣あるお店で、レンタルスペースとしても利用できるそうです。事前に本を読ませていただいたときも、号泣したのですが、インタビューでも、ご主人への思いが溢れ出ていて、大感動。気さくで素敵なお人柄で、ますます応援したくなりました。(ライター 秋元恵美)
撮影/平井敬治 取材/秋元恵美 ※情報は2025年8月号掲載時のものです。
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