40代に愛用者多数のアパレルブランド「アメリ」、立ち上げ秘話とは|Ameri VINTAGE 代表取締役/ディレクター 黒石奈央子さん
女性としてこれからのキャリアに悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。第一線で活躍している女性リーダーの方々にお話を伺うと、そこには、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、アパレルブランドAmeri VINTAGEの代表取締役兼ディレクターを務める黒石奈央子さんです。(全3回の1回目)
黒石奈央子さん(37歳)
Ameri VINTAGE CEO/ディレクター
立命館大学経営学部卒業後、大手アパレルブランドのVMDを経て、独立。2014年10月、オリジナルブランド「AMERI」やヴィンテージアイテム等を取り扱うセレクトショップ「Ameri VINTAGE」を立ち上げ、代表取締役兼ディレクターを務める。愛犬はチワワのCOJICOJI。
自分の直感を信じて、27歳でアメリを立ち上げたのが全ての始まり
STORY編集部(以下同)――Ameri VINTAGE立ち上げに至るまでの経緯について教えてください。
大学4回生の時、別の進路が決まっていたのですが、急にその選択に違和感を感じるようになって。「本当にやりたいことって何だろう?」と改めて考え直し、大学の卒業間際に自分探しをしようと大阪から上京したんです。そんな時に、学生時代にバイトをしていたアパレルショップの先輩に、「新しくブランドを立ち上げるから一緒に働かない?」と声をかけてもらいました。
「楽しそうだな」と思い、そのままアパレルブランドに就職。最初は商品管理の仕事だったのですが、立ち上げの段階だったので、色々なことを兼任させてもらいました。センスを買ってもらい、入社して1~2カ月程でVMD(ビジュアルマーチャンダイザー)という職種に就いたんです。店舗のディスプレイなど、服以外のデザインを一任されて。一般的なVMDの域を超えて、ウィンドウディスプレイだけでなくWebのバナーやノベルティやポスターなど、あらゆるデザインのアートディレクションを担当させてもらいました。大学も経営学部で、デザインの勉強もしていなかったので専門的な知識もなく、業務に携わりながら学びました。もともとファッションが大好きだったので、おしゃれなものを見に行って感性を磨くようにはしていましたね。
――VMDを経験されて、どうでしたか?
VMDをしていた4年間は、すごく楽しくてやりがいもありました。それ以上に、立ち上げから携わって本当に色々と兼任していたので、気づいたら経験値が上がっていたんです。タグやショッパー制作なども、デザインから生産まで全て1人で担当してノウハウを吸収。本社の会議に出席した時には、他のブランドの売り上げまで把握するようにしていました。「このブランドの売り上げ規模はこれくらいなんだ」「なぜあまり売れていないのかな?」と会議の中で常に考えていて。「売れるブランドと売れないブランドの違いってどこにあるんだろう?」など、勝手に分析していました(笑)。
私が担当したブランドでも、一時期すごく売れても、停滞期が必ずあるんです。その時に、いい面も悪い面も含めてアパレルの裏側を間近で見ていたので、「もっとこうしたらいいのに」という改善策を考えたりもしていました。かと言って口出しできる立場でもなく、自分の心の中に留めていましたね。
――ターニングポイントはいつだったのでしょうか?
新卒で入社した時点で、なんとなく「28歳までに次のステップに進もう」と決めていたんです。28歳って節目のような気がしていて。ただ漠然と違う職種に就きたいと思ってはいたけれど、何がしたいという明確なものはありませんでした。
当時、ハイブランドからVMDのヘッドハンティングの電話が私宛にかかってきたりもして。その時に、「VMDがやりたいわけじゃない」と気づいたんです。ディスプレイよりもノベルティを一から制作している時が一番楽しくて、やっぱりものづくりがしたいと確信しました。とはいえ、専門学校も出ていないし洋服のデザイン経験もないから、デザイナーにはなれないし…..とずっと悶々としていました。
そんな時、友人から「おしゃれなヴィンテージショップをつくりたいから、一緒にやらないか?」と誘われたんです。自分の世界観を自分でつくれるのは楽しそうだなと直感的に思いました。今までは人のブランドで、それに合わせたものをつくっていたけれど、自分の好きな世界観でやりたいことができるのは魅力的だなと。せっかくならノウハウを活かしてオリジナルもつくりたいと思い、NYで買い付けたヴィンテージとオリジナルアイテムを扱うショップとしてAmeri VINTAGEをスタートしました。
アパレルは通常、ディレクターがいてその上に事業部長がいるんですよ。それなのに、最初から「ディレクターだけじゃなく社長もやってよ」と言われて(笑)。「全部好きにやっていいよ」と言われたものの、経営をしたこともなければ事業部長の経験もないのにどうしよう、と正直思いました(笑)。でももうやるしかないので、友人にアルバイトで手伝ってもらいながら、デザインから経営まで立ち上げの全てを1人でやりましたね。ちょうど10年前の、27歳の時でした。
Ameri VINTAGEの立ち上げ当初は、ヴィンテージとオリジナルアイテムを半分ずつ売ろうと思っていたんです。でもヴィンテージって1点ものだから、1点のために採寸して撮影して……と、とにかく効率が良くない。逆にオリジナル商品は数を販売できるので、圧倒的に利益率が高いんです。なので必然的にオリジナルの比率が増えていきました。ただ私もヴィンテージが好きなので、”VINTAGE”という言葉をブランド名にも残して、今もヴィンテージ商品も販売しています。
――どんな風に事業を軌道にのせたのでしょうか?
当時、ちょうどInstagramが流行り始めた頃で、フォロワーは2万人くらい。その2万人のお客様に向けて、地道に発信して販売していました。アパレルを始めるにはかなり少額な初期費用でしたし、地に足のついた経営しかしないと決めていたんです。大きい額を投資したり大々的な宣伝もしませんでしたが、すぐに回収できて、赤字になることはありませんでしたね。
ちょうど、色々なインフルエンサーブランドが立ち上がっていた時期で。そういったブランドを見る度に、「こうしたらもっと売れるのに」という自分の中での”勝ち筋”はある程度見えていました。全ては、バランスが重要なんです。
「生産量・価格・デザイン・PR」、この4つのバランスが少しでも崩れると、売れない。最初に勤めていたアパレルでもすごく好きなブランドがあったんですけど、可愛いのに売れていなかったんです。それはPRが弱かったから。でも一方で、フォロワーが多くてPRは強いのに売れていないブランドもあって。それは商品が弱いからなんですよね。そのあたりがうまくマッチすると、絶対に売れるんです。そのバランス感さえ保っていれば間違いないという確信がありました。利益が出たら次の商品開発に充てる。それを繰り返していく中で、少しずつ事業の規模も大きくなっていきました。
(中編へ続く)
撮影/沼尾翔平 取材/渡部夕子
おすすめ記事はこちら
▶uka代表・渡邉季穂さんを成長させ、癒してくれる人やアイテムとは