4児ママ・加藤夏希さん(40)“激務の20代”から家庭8割へ…「30代は経験を増やす時間に」

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4人目の出産から半年くらいの頃。首も腰もすわってよくお散歩に出かけるようになった時期(写真:本人提供)

俳優、タレントとして活躍しながら、プライベートでは4児の母でもあり、1歳になったばかりのベビーもいる加藤夏希さん。仕事一色だった20代から、育児にシフトした30代を経て、仕事と家庭とのバランスや、ご自身のキャリアについて語っていただきました。

Profile

1985年7月26日生まれ。秋田県出身。14歳で俳優デビュー。雑誌「JJ」の専属モデルとして絶大な人気を博し、「花より男子2(リターンズ)」「リアル・クローズ」をはじめドラマ・映画に多数出演。現在は俳優、タレントとしてドラマやバラエティに出演、舞台のプロデューサーとしても活躍している。プライベートでは4児の母、食育アドバイザーの資格を持つ。Instagramはnatsukikato_official

オシャレに自信がなかったけれど飛び込んだファッションショーの世界

初めてのCM撮影の現場で。姉妹役だった瀬戸カトリーヌさんとのオフショット(写真:本人提供)

――モデル、俳優、タレントと多彩な活躍をされてきた加藤さんですが、20代を振り返って一番印象に残っているお仕事は?

ファッションショーですね。20代前半の当時はファッションショーがブームで。いろいろな意味で視野が広くなったお仕事でしたね。国内だけでなく、海外からも評価を受けたり、国が変わるとファッションや文化も変わるのを肌で感じられたり、すごく刺激になりました。

私自身、私服のコーディネートに自信がなくて、勉強するためにモデルの世界に入ったんです。「まだ私がお手本になるような存在じゃないのに」という気持ちでショーに携わり、自信をうまく持てない中でも、周りからは「良かったよ」って評価してもらえたりもして。悩みながらやっていました。

幸いだったのは、子役から活動していたこと。舞台に立った経験をショーの仕事に活かすことができたんです。自分の得意分野と、ファッションという、苦手というか、自分の中で足りないなと思っていたものがようやく繋がったのがファッションショーでした。

ハードスケジュールは前に進む気持ちと美意識高めロケご飯で乗り切れた

――お仕事をしていて、これは大変だったということはありましたか?

雑誌の撮影が朝4時入りで、午前中に終わった後、ドラマの撮影の現場に行く、二足のわらじみたいな毎日を過ごしていたのが、振り返ればすごく大変だったなと思います。よく体力がもったな、というか。ドラマの撮影が夜中に終わって、家に帰ってお風呂入ったら「あれ、もう出なきゃじゃん」「いつ寝よう」みたいな時も。もちろん、大変さだけでなく、楽しさと「やってよかった」っていう成果が形になるお仕事なので、やりがいはありましたが、あのスケジュールをよくこなしていたなと思います。

――そのスケジュールを乗り切れた秘訣はなんでしょうか?

考えず、前に進むのみで「今日をとにかくこなすぞ!」という毎日でした。常にアドレナリンが出ていたと思いますね。そこで、考えたり、振り返ったりしていたら、どっと疲れてしまっていたかも。

あとは、実は自然と健康的な生活を送れていたことも大きかったです。当時の食事は、現場で食べるものがほぼすべて。たとえば雑誌の撮影では、朝におにぎりが用意されていて、しっかりお米を食べて1日をスタートできたり、ランチもヘルシーなお店に連れて行ってもらえたりして、とてもありがたかったです。また、雑誌の仕事を通して「美意識を高めないと」という雰囲気にも自然と引っ張ってもらっていたなと感じます。

プライベートの時間がほぼない生活。結婚してやっと彼と会える時間が増えた

――20代後半で結婚、出産を経験されました。仕事とどうバランスをとっていきましたか?

結婚するまでは仕事と自分のプライベートの比率は仕事が9.5、プライベートが0.5。仕事が入ってきたら断らずにスケジュールを埋めていく感じでした。

今の夫と出会ってからも同じ状態で、付き合っても0.5のプライベートの中でいつ会えるんだろう?となり「じゃあ一緒に住もうか?」「一緒に住むなら結婚しないとね」みたいな感じで結婚。ようやく会える時間が増えました。

結婚してからは仕事の割合は変化して 7:3くらいに。妊娠して産休に入った時は、最初は「やった、ついに休みがもらえた!」と思いました。ただ、1週間は楽しかったけれど、2週目から「このまま私は仕事がないのかな」「出産した後、どうなるんだろう」とか思い始めて。だからといって出産後いつから働けるのかと聞かれても、産んだことがないからわからない。漠然とした不安を抱えていました。

役者としての深みを出すために人生経験を増やす30代にすると決めた

今年10年ぶりにドラマに出演。東映に行った際に、女優デビュー作でもある「ロボコン」と記念撮影(写真:本人提供)

――不安を抱えながら、その後のキャリアについては、どのように考えていたのですか?

仕事について人生設計を考える中で、正直「私、30代ではあまり役がないかもしれないな」って思ったんです。20代は新人OLさんだったり大学生だったり、いろいろな役があったけど、当時のドラマは30代の私ができそうなポジションがそんなに多くなくて。

どの年齢でも輝けるタイミングはあるとは思うのですが、私はこの時期に結婚や出産を含めて、自分の役者の糧になる、引き出しになる経験をしよう、と思いました。自分の経験を増やすことで、将来自分がお芝居をした時に深みがもっと出るかなと。子どもは3人欲しいことも事務所に伝えて、30代前半は子育てで大変な時期になるだろうから、「家庭8割、仕事2割」というバランスに切り替えていこうと決めました。

子どもが生まれてからは、家でセリフを覚えるのも大変。覚えなきゃいけない時に限って夜泣きがひどかったりして両立の難しさを痛感しました。そして、2割に抑えた仕事をまた増やせる日が来るのか、戻れるのか…と迷うことも。周囲に相談しても、「未知の世界だよね」「タイミングが合えば戻れるんじゃない?」といった返事が多くて。女優さん、モデルさんでそのまま引退する人も多い中で、私の役者人生を考えて「40代に向けての役作りのつもりで経験を増やすための30代にする」と目標を立てて、前向きに進むようにしていました。

とはいえ、それでも「本当に仕事が来るのかな」と不安になったり、妊娠中にテレビに出たら「太った」と言われて傷ついたり、落ち込むこともありました。

ライバルは他の誰かじゃなくて過去の自分。そう思えたら向上心が高まった

今年は初の舞台プロデュースにも挑戦。夢枕獏が柳家喬太郎のために書いた落語を舞台化した作品(写真:本人提供)

――そういった気持ちの浮き沈みとどうやって付き合っていったのですか?

20代までは周りがライバルだったんですよね。今は過去の自分がライバルでしかなくて「若い頃の、もっと仕事をこなしていた自分に負けていられない」みたいな。ライバル心を向ける相手を、他人じゃなくて過去の自分にすることで、向上心が高まっていきましたね。

そう思えるようになったきっかけは、第2子である長男が生まれたとき。長女の赤ちゃん時代の写真と並べて、「ここが似てるね」と家族で話していた時に、ふと「今の自分と過去の自分をこんな風に比べてみたらどうだろう」と思ったんです。自分の写真を並べてみたら「ここは変わった」「ここは昔のままだな」といろいろな発見がありました。それに気づけたのは子どもたちのおかげ。意外なことが自分の役者人生に繋がっていることを実感しました。

よく思うんです。食べたものも、自分の経験も すぐに結果が出るわけじゃない。数年後に「あ、あれだ」って気づくときがある。それこそ、台本を覚えたり舞台の企画書を書いたりするのは子どもが起きる前の早朝になるのですが、モデル時代に培った「早起き体質」が生かされていて。自分の経験が、今に繋がっているんだなと実感しています。

経験を演技につなげて、80歳の役も演じられる役者を目指したい

――これから、どんなキャリアを築いていきたいですか?

20代後半から30代の10年間で経験したことを、役者として出していけるような仕事をしていきたいなと思いますね。ちょっと強めの上司とか、なかなかやれなかった役にも挑戦したい。 Netflix で『君は天国でも美しい』というドラマがあって、その主人公が、80歳の女性なんですよ。80 歳の主人公っていう役があるんだ、夢が広がったなと思って。舞台のプロデュースなど、ずっとやりたかったことが実現したので、これからも一つずつ叶えていきたいと思っています。

取材/加藤みれい 構成/越知恭子