【梨花さんインタビュー】「芸能界の仕事の中で唯一興味があったのが、女性誌の表紙だった」JJモデル時代のエピソード 当時のファッションの路線や、モデルとしての心境を振り返る
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1990年代後半を中心に、雑誌『JJ』でモデルとして活躍していた梨花さん。梨花さんがブランドファウンダーを務めるトータルセルフケアブランド 「AKNIR(アクニー)」からスキンケアラインが新たに登場するのに合わせて、JJモデル時代の話を伺いました。当時はどんな心境でモデルをやっていた? 好きだったファッションは? 今改めて「モデル」という職業についてどう思う? 梨花さんファン必見の話が満載です。
――JJモデルだった時代に、『JJ』は梨花さんにとってどういう雑誌でしたか?
「ステータス」! 高校を卒業して、「何になれるのかな? 」と考えていた時に、たまたま、事務所にスカウトしていただいて。 芸能界だったら何になれるだろうと考えて、私はやっぱりモデルかなと思った。その頃に売れていた雑誌が『JJ』とか『CanCam』(小学館)だったの。当時の『JJ』は売上トップだったから、やっぱり憧れ中の憧れというか、憧れを通り越してステータスだった。だからこの『JJ』のマークひとつとっても憧れで。「ええ!私がJJモデル!嘘でしょ!」って。
当時、モデルが表紙を飾るまでに、『JJ』の中でステップアップが色々とあって。まずはこういうページに出て、次にこういうことをやって、と段階があったんだよね。明確なページのランクみたいなものがあったから、日々、表紙を勝ち取るために頑張っていたと思う。
――梨花さんご自身が着ていたファッションも含めて、当時の『JJ』で思い出に残っているファッションはありますか?
『JJ』はコンサバファッション誌だったんだけど、私服は全然コンサバではなかったの。ただ当時の『JJ』には、好きな格好とか、好きな女性像を超越するブランド力があった。なんでもいいからすごく欲しかったし、憧れがあった。
コンサバ絶世期の少し後に、「平子理沙さんならこのブランド」「梅宮アンナさんならこのブランド」みたいな巻頭企画 が出てくるんだよね。私は、最初はハイブランドじゃなくて、プチプラ企画を担当することが多かった。そのあたりからコンサバだけじゃなくて、モデルの個性がぶつかり合う私服合戦みたいなのが始まっていくんだけど、短い期間でもファッションの路線は色々変わっていた記憶があるかな。でも本当は『JJ』というともっとコンサバだったはずで、私たちがモデルをやっていた時代から、よくも悪くも変わり始めた気がする。ちょっとキャラクターが濃い人が集まっちゃって(笑)。モデル同士がかぶらないように編集者がうまく手配してくれたりもするけど、モデル自身がセルフプロデュースをして、自分の個性をどれだけアピールできるか、ポジションをどう勝ち取っていくかだった。

――JJモデル時代は、どういった心境でモデル活動をされていたんでしょうか?
当時は、芸能界の仕事の中で唯一興味があったのが「女性誌の表紙」だったの。いかに出続けられるかっていう執着もすごかったと思うし、”カバーガール”というところでしか自分の存在意義をはかってなかった。
――梨花さんのモデル活動を振り返った時、梨花さんが『sweet』(宝島社)に出られていた時代の記憶も鮮明に残っています。
実は『JJ』から『sweet』の間には、仕事がゼロになっている時期があるんだよね。 ガンと落ちて、這い上がっていくっていうストーリーが自分の中にあるんだけど、私がラッキーだったのは『JJ』も『sweet』も出演当時の売上がトップだったってこと。だから、モデルとしての梨花がみんなの記憶に残っているはずだよね。 雑誌の読者人口が多い時にやれているから、ラッキーだったと思う。
女性誌って「〇〇時代」みたいなのが年表にすれば出てくると思うけど、それが面白い。「この時代のモデルの眉毛はどういうのが流行っている」とか、「『JJ』っぽいコンサバが流行っている」「『CanCam』みたいなモテ系が流行っている」とか。そういう流行に自分をはめていくのか、それとも新しく作っていくのか。どうするかもモデルとしての選択だった。
――2010年代にもう一度『JJ』のカバーガールを務めています。その頃の姿を見ると、ギャルっぽいファッションやメイクをした写真もありました。でも当時、梨花さんご自身が、ギャルっぽいスタイルが好きだったというわけではないんでしょうか?
色々な影響が混じっているんだけど、当時はケイト・モスが好きだったから、ギャルじゃなくて海外モデル風のスタイルをやっているつもりだったんだと思うの。 でも、今見るとギャルじゃない?って思う(笑)。スーパーモデルに憧れていて、「服は着るよりも、どんどん脱いでいくべきもの」みたいな考えがあった時代だった。

――梨花さんがJJモデルだった時代から考えると、現在はモデルという存在も変化したように思います。SNSで有名になったインフルエンサーが雑誌に登場したり、ショーのランウェイを歩くのもよく見るようになりました。
あるところまでは、プロのモデルと、インフルエンサーというかセミプロみたいな存在の線引きがあってほしいと願う気持ちがあったの。でも今って、誰がプロで、誰がセミプロなのかって本当のところはわからないよね。
どこまで行っても、この仕事って影響力を持った人の勝ちだから。プロのモデルで雑誌の表紙に載っていても、この子が言ったものは3個しか売れなくて、セミプロが1万個売っていたら、やっぱり後者の子の力はすごいんだ、と認めなきゃいけない時代だと思う。
大切なのは、選ぶのは自分ってことだけだよね。やる側や表現する側としても、選ぶ側だったとしても。人が紹介したものをいいと思うのも、いいものを発信しようとするのも自分自身。どういう自分でいたいのかを、自分で選ばないといけないと思う。
取材・文/浅井美咲 編集/野木靖郁
梨花
1973年5月21日生まれ、東京都出身。19歳でデビュー。『JJ』をはじめ、モデルとしていくつものファッション誌の表紙を飾りながら、バラエティー番組でもブレイク。36歳で結婚し、翌年に男児を出産。その後、生活の拠点をハワイへと移す。現在は日本とカリフォルニアで二拠点生活を送りながら、モデル、プロデューサーとして活躍している。