中島歩さん(36)俳優を志したのは「子どものころから目立ちたがり屋だったから」

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朝ドラ『あんぱん』で見せた好青年ぶりと、ドラマ『愛の、がっこう。』で演じるクズ男のギャップが話題となっている俳優・中島歩さん(36)。独特な空気感をまとい、ゆったりと丁寧に言葉を紡ぐ姿に、思わず引き込まれてしまいました。25歳で俳優デビューした中島さんですが、泣かず飛ばずの時期もあり、30歳のときには「このままでは仕事を続けられない」と考えていたそうです。そんな中島さんの人生観や、アラサーのころ抱えていた葛藤について、話を聞きました。

Profile

1988年10月7日生まれ。宮城県出身。大学在学中からモデルとして活躍し、2013年に舞台『黒蜥蜴』で俳優デビュー。2014年、『花子とアン』で朝ドラ初出演。2019年には、中国映画『サタデー・フィクション』で海外進出を果たし、さまざまな作品で独特の存在感を放っている。

俳優を目指した理由は「スターになりたい」という自己顕示欲

――まず、中島さんが俳優を志したきっかけについて教えてください。

日大藝術学部に通っていたんですが、周りにすでに有名な人がけっこういて。自分も何かやってみたいなと、刺激を受けたことがきっかけですね。落語研究会に所属していたこともあって、僕には自分自身を使った表現が合うような気がしていました。そのなかでも、スターになるなら、やっぱり俳優かなと。だから、かなりぼんやりした動機だったんです(笑)。

――お芝居がやりたいというよりは、有名になりたいという気持ちが強かったんですね。

もともとは、国語の先生になるつもりだったんです。でも、安定した仕事をするより、人生に波風を立たせたいと思って。今なら、教師という仕事がどれだけ大変か、想像がつきますけど、大学生のころは承認欲求と自己顕示欲が強くて。とにかく冒険してみたい気分になっていたんです。

――中島さんに、強い承認欲求や自己顕示欲があるというのは、なんだか意外です。

僕、卒業論文も自己顕示欲について書きました(笑)。子どものころから、目立ちたがり屋で、人を笑わせるのが大好きだったんです。学校でも、積極的にふざけてましたからね。俳優を目指したのも、その延長なんだと思います。

デビュー後すぐに朝ドラ出演。順風満帆かと思いきや、仕事がなかった20代

――大学在学中にモデル活動を始められたあと、25歳で念願の俳優デビューを果たしていますが、どんな20代を過ごされましたか?

美輪明宏さんの舞台でデビューしたあと、すぐに朝ドラの出演が決まって。はじめは、自分のイメージ通りに人生が進んでいると思ったんです。でも、そのあとは、ぜんぜん仕事が来なくて。演技が下手すぎたので、仕方ないんですけどね。20代のころは、活躍している同世代の俳優さんたちを、妬ましい気持ちで見ていました(笑)。

――それも意外です。中島さんは嫉妬心が強いほうなのでしょうか?

そうかもしれないですね。今でも、自分より活躍されている方々に嫉妬する気持ちはあります(笑)。ただ、それが僕にとっては、大きなモチベーションになっているんです。それから、将来への不安も原動力の1つですね。「食べていけなくなったらどうしよう…」と心配になるからこそ、踏ん張れるような気がしています。

30歳の節目で「俳優の仕事は続けられないかも」と初めての葛藤

――20代のころは、仕事がない時期もあったとのことですが、俳優を辞めたいとは思わなかったのでしょうか。

1度だけ、30歳になったときに「もう辞めようかな」と思ったことがあります。いろいろな出来事が重なって、メンタルが落ち込んでいたんです。高校でバンドをやっていたので、レコード屋さんに就職しようかと考えていました。

僕の周りの友達もそうですけど、30歳で転機を迎える人は多いでしょうね。仕事にしがみついて頑張ってきた人と、そうじゃない人の差がはっきり表れてくるタイミングなんだと思います。そのなかで僕は、「人生って、この先も続くんだ」と悟ったんです。こんな仕事がない状態で、あと何十年も生きていくのは無理だから、もう俳優は続けられないかもと考えてしまいました。

泣かず飛ばずの時期を乗り越えられたのは、“空から奇跡が降ってきた”から

――それでも、俳優を辞めずにここまで続けてこられたのは、どんな理由があるからでしょう?

1つは、仕事がほとんどないなかでも、僕を呼んでくださる現場があったことです。そこで掴んだものは、間違いなく今につながっていると思います。もう1つは、自分でも驚くような奇跡が空から降ってきたことですね。

――その奇跡というのは…?

僕が大好きなロウ・イエ監督の作品に呼んでいただけたことです。偶然の連続で、あれよあれよという間に出演が決まって。気付いたら「ベネチア国際映画祭」のレッドカーペットを歩いていました。そこから、周りにも少し認めてもらえるようになったと思います。

――映画『サタデー・フィクション』ですね。ご自身でチャンスを掴み取ったという感覚ではないんでしょうか?

もちろん、そういう作品もありました。事務所のスタッフの方々のサポートのおかげで掴めたチャンスもありますし。ただ、ロウ・イエ監督との出会いは、やっぱり僕にとって“空から降ってきた奇跡”なんです。

葛藤の多かった20代は「実を結ばなくても、行動し続けた」

――お話を聞いていると、まさに“波風の強い”20代だったことが伺えますが、ご自身の葛藤とは、どんなふうに向き合っていましたか?

とにかく勉強することですかね。多くの作品に触れるのはもちろん、なるべく芝居をする機会を増やして、そこでたくさん怒ってもらって、少しずつ鍛えられました。俳優は“芸事”ですから、まずは“芸”を身に付けないと見世物になりません。幸運にも、みっちり指導してくださる演出家の方々と出会えたことで、今の僕があるのかなと思います。

――なるほど。葛藤のなかでも、行動することはやめなかったんですね。

そうですね。なかなか実を結ばなかったですが、自分から積極的に行動はしていました。20代のころの僕は、けっこうガツガツしていたと思います(笑)。

来年の大河ドラマ初出演にも意欲的「常に新しい何かを習得したい」

――そして今、36歳の中島さんは、どんな価値観を大切にしていらっしゃいますか?

これは昔から変わらないのですが、自分がときめく気持ちを優先することです。仕事においても、脚本だったり、共演者の方や演出家の方だったり、何か自分が惹かれる要素がある作品に出たいと思っています。ただ最近は、自分がしたいことだけでなく、周りが自分に求めることも意識するようにしています。以前は、「自分がおもしろいと思えるかどうか」しか頭になかったのですが、ここ数年は「いろいろな人に、おもしろがってもらえるかどうか」についても考えられるようになったんです。

――アラサーだったころから、変化があったんですね。それでは最後に、今後の目標や挑戦したいことについて、教えてください。

新しい表現の方法を探っていきたいです。実は今、自分で自分の表現に飽きてしまっている感じがして…。一方で、映像芸術の可能性には、すごく興味が湧いているので、作り手側に回ってみたい気持ちもあります。自分でそういう機会を作れるかどうかは、まだわかりませんけどね。もちろん、パフォーマーとしても、もっと成長しなければならないと思っています。来年には、初めての大河ドラマが控えているので、また現場で鍛えられるでしょうし、常に新しい何かを習得していきたいです。

information

中島さんが出演する『愛の、がっこう。』は、フジテレビ系にて、毎週木曜22:00〜放送中。高校教師の愛実(木村文乃)は、生徒を迎えに行った夜の歌舞伎町で、カヲル(ラウール)というホストと出会う。まったく違う世界で生きてきた2人だったが、愛実がカヲルに文字を教えることで、少しずつ距離が近付いていく。

撮影/新道トモカ 取材/近藤世菜 編集/越知恭子