平野ノラさん(46歳)バレーボール少女から“芸人”への転身。お笑いにたどり着くまでの道のりとは?

「しもしも〜?」の決め台詞とともにバブリーネタで一世を風靡した、お笑いタレントの平野ノラさん。
学生時代は全国大会優勝経験をもつ“バレー部キャプテン”という意外な一面も。
32歳で遅咲きの芸人デビューを果たし、42歳で母となった今も、笑いと育児という2つの舞台を全力で駆け抜けています。
第1回では、思うようにいかない時期や、数々の挫折を乗り越え、“芸人”という天職にたどり着いた道のりを語っていただきました。(第1回/全3回)
平野ノラさんプロフィール
お笑いタレント
1978年生まれ、東京出身。ワタナベエンターテインメント所属。31歳で本格的に芸人の道に進み、肩パッドにバブルメイクで昭和の空気を再現した“バブリーネタ”で大ブレイク。近年はテレビ出演はじめ、バレーボール教室、片付け本の執筆など多彩に活動し、42歳で第一子を出産。家庭と仕事の両立を自然体で楽しむ等身大の姿が、多くの共感を集めている。
小学3年から始めたバレーボールで目立つことが好きになった
ママさんバレーをしていた母の影響で、小学3年生からバレーボールを始めました。
それまでは声も細くて、すごく恥ずかしがり屋だったんです。でも、バレーを始めたら人前に立つことが全然怖くなくなって。声も自然と出るようになって、ハスキーボイスになったのも、たぶんその頃の名残です(笑)。
クラブチームでしごかれながらも、歌ったり目立つことがどんどん好きになっていって。緊張よりも、「自分がやらなきゃ」っていう責任感のほうが強かったですね。
小学校では副キャプテン、中高ではキャプテンとしてチームを引っ張って、週6日の練習、休みなんてほぼナシの青春時代でした。関東大会で2位、全国大会では優勝という輝かしい成績も残せたんですが、実は、小学5年生のときに「自分はプロにはなれない」って感じてしまったんです。
それまで全国レベルの選手たちと試合をしてきて、「あ、こういう子たちがプロになるんだな」って、なんだか冷静に見ていた自分がいたんですよね。
それでも、バレー漬けの日々で、勉強なんて完全に二の次。テストで0点を取っても、全然恥ずかしくなかったし、むしろテスト中ずっと自分の名前を立体的に書いて終わったこともあります(笑)。
そしたら、採点でなんとマイナス3点をもらっちゃって。
0点じゃなくてマイナス3点!!そんな人見たことなかったから、逆にちょっと誇らしかったです(笑)。

小さい頃はとても恥ずかしがり屋でした

バレーボールを始めた頃
思春期に訪れた“女の子”への葛藤
本当は、高校ではもうバレーはやりたくないって思ってたんです。
でも、それまでまったく勉強をしてこなかったから、進学できるのはバレー推薦の高校しかなくて。
それに、伝統のあるクラブチームに所属していたこともあって、なんとなく辞めにくい空気もありました。
本当は、いわゆる“JK”みたいに、おしゃれしたり恋愛したり…そんな高校生活を送りたかったんです。
でも現実は全然ちがって、髪型はショートカット、体もガッチリしていて、毎日赤と青のラインが入ったジャージばかり着ていて。
好きだったサッカー部の男の子に「ガンダム」って呼ばれたこともあって、「あ、女として見られてないんだ…」ってショックでしたね(笑)。
だから、部活を引退したときは、「ようやくバレーと離れられる!」って、すごく開放された気分でした。
最後の数ヶ月は、髪を脱色したり、放課後に友達と遊びに行ったり、ほんのちょっとだけど“JKらしい”ことができて、嬉しかったのを覚えてます。

“笑い”はいつもそばにあった
実は中学生の頃から、ずっとミュージカルの『アニー』に憧れてたんです。でも高校まではバレー漬けの毎日。だから、高校卒業後にミュージカルの学校を見学しに行ってみたんです。
そしたら、うまい子が多すぎて「これは無理だ……」って思っちゃって。私が必死にバレーやってたあいだに、この子たちはずっとミュージカルの練習してたんだろうなぁって。結局その学校には入らなかったんですが、発表会には参加してみたんです。
そしたら、その発表会で私の演技がめちゃくちゃウケて。ダンスも演技もそんなに上手じゃなかったけど、笑いが取れて、自分もすごく楽しくて。
思い返せば、小さい頃から笑わせるのは得意で、近所のおばさんに「コメディアンになれば?」って言われるくらい。人から「面白いね」って言われることも多くて、「これが自分の得意なことなのかな」って、なんとなく思ってました。
でもその時は、まさかそれが“仕事”になるなんて考えてもみなかった。
そんなとき、劇団をやってる友達に誘われて、舞台に出ることになったんです。そこで、台本を無視してアドリブ入れたらめちゃくちゃウケたんですよ(笑)。でも、勝手なことをしたって怒られて。
そのとき、「自由にできるのはお笑いなんだ!」って気づいて、そこから芸人を目指すようになりました。

成人式

20代前半
挫折からの暗黒時代
自分の中では、25歳までには何かしら芽が出ているか、せめてスタート地点には立ってる、そんな人生設計だったんです。
でも、21歳のときに一度芸人を目指して、相方を探したり、オーディションを受けたりもしたんですが、ことごとくダメで…。
そもそも当時は、お笑いのセオリーなんて全然わかってなくて、ただ「自分が面白いと思うこと」をやっていただけだったんですよね。
結局、25歳で限界を感じて芸人の道をあきらめました。そこからはフリーターをしたり、OLをしたり、家に引きこもったり…。
彼氏に養ってもらいながら同棲もしていましたが、全然幸せじゃなかったです。
「どうすれば幸せになれるんだろう?」って毎日考えては、自分をどんどん追い詰めていって。
部屋も散らかってるし、昼夜逆転の生活で、ふとしたときに涙が出るような状態でした。
そんなある日、鍼灸師の先生に「あなた、今すごくつらいでしょう?病院に行ったほうがいいかもしれないよ」と言われて。
そのとき初めて、「あれ?もしかして自分は“病気”なのかも」って気づいたんです。
でも不思議と、「病気なら治せるかも」って思えたことで、気持ちが少し軽くなったのを覚えています。
そんなとき、たまたま手に取ったのが『ガラクタを捨てたら本当の自分が見える』という本。
そこに「部屋の汚れは心の状態とつながっている」って書いてあって、まさに今の自分だ!と思ったんです。それが、私にとって“人生を変える第一歩”になりました
人生を変えた「片付け」との出会い
まずは、朝きちんと起きるようにして、起きたらカーテンを開ける。そんな小さなことから始めました。掃除も、少しずつ。1年かけて、いらないものを手放していきました。
すると、気づけば心も少しずつ元気になってきたんです。ずっと引きこもっていたけど、バイトにも行けるようになって。
バイト先が高校時代の友人と同じだったので、久しぶりに再会して意気投合。
その友人が「今なら、一緒にお笑いやってもいいよ」って言ってくれたんです。そのひと言で、31歳にしてもう一度、芸人を目指す決心がつきました。
もちろん、そのとき付き合っていた彼氏には大反対されました。
でも、「今やらなきゃ、絶対に後悔する!」って思ったんです。彼と別れて一人暮らしを始め、ワタナベコメディスクールの13期生として入学しました。
ようやく、自分の人生を自分の手で取り戻す覚悟ができた瞬間でした。

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撮影/沼尾翔平 スタイリスト/奥田ひろ子(有限会社ルプル) 取材/沢亜希子