「生まれつき難聴」「英語がまったく話せない」私が“子連れ米国移住”した理由
生まれつき重度の聴覚障害があるものの、「読唇術」と、「発話」を習得して幼稚園から高校まで一般校に通った牧野友香子さん。神戸大学卒業後はソニー株式会社に入社し、結婚後、娘の難病をきっかけに起業しました。現在、夫と二人の娘の家族4人でアメリカに暮らす牧野さんに「英語がまったく話せなかった」というご自身が渡米を決意したきっかけや現地での暮らしを伺いました。
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家族も驚くスピードで決意した「アメリカ移住」
──ご夫婦で経営する会社の業務拡大に伴い、2022年からご家族でアメリカのテキサス州ダラスに移住されたそうですね。
実は、英語もまったく話せないのに、「アメリカに行ったほうがいいんじゃない?」と移住の話を最初に言い出したのは私です……。現在、難聴児や家族を支援する会社のほか、Webマーケティング会社も経営しています。日本国内での成功事例が増えるにつれ、海外にも製品を売りたいというお客様が増えてきました。私たちが北米の現場に行ったほうがより現地の方の動きを理解してサポートしやすい部分があったため、現地に行ったほうがより効果的かなという考えがありました。難聴の療育の日米差も見てみたかったし、「難聴で読唇術をしている私にも英語が習得できるのかな?」といった理由もあり、「アメリカ行ってみる?」と提案するに至りました。
家族と。「アメリカに行ってみない?」と言い出したのは私です
──牧野さんの提案に、ご家族の反応はどうだったのでしょう?
普段は自由奔放な夫さえ、最初は「日本の取引先はどうするの?」と驚いていましたが、二言目には「行っちゃえばなんとでもなるか!行こう!」と、前向きな返事が返ってきました。娘たちには、ビザが取れるか直前までわからなかったこともあり、「2カ月後からはアメリカの学校に通うよ」とぎりぎりに打ち明けることになってしまったのですが……。そこからはバタバタと準備が始まり、あっという間に移住の日を迎えた、という感じでした。
渡米当時、長女は8 歳、次女は6歳で、2人とも英語力はゼロに近く。それでも最初から現地の小学校に通わせています。当初は聞くことも話すこともできなかったのですが、今では日常会話には困っていることもありつつ、渡米した時より少しずつ理解ができるようになってきているみたいです! それどころか、姉妹の会話にもぽつぽつ英語が交じるようになってきて、「私だけが娘たちの会話を理解できない」なんて現象も起こっています。
──娘さんたちは突然のアメリカ生活にもすっかり馴染んでいるようですが、日本を恋しがりはしませんか?
日本の友達には会いたいようですが、アメリカ生活も楽しんでいるようです。ただ、食事だけは「日本のほうが美味しかった!」と言っています。でもある日、学校に持参するお弁当におにぎりを入れたら、次女に「次からはライスボールは入れないで」と言われてしまい……。おにぎりが珍しい学校の友だちにからかわれたようなんです。アメリカでは、お弁当が「ポテトチップスとりんご」なんて子もいたりするので、日本のお弁当は浮いてしまうようです。
お弁当のおかずには日々、頭を悩ませますが、ランチボックスの内容もすっかりアメリカナイズされるほど馴染んでくれて、親としてはひと安心です。骨の難病がある長女は定期的に通院が必要ですが、現地で主治医も見つけ、今では日本でもアメリカでも診ていただいています。
二人の娘と一緒に。子どもたちの成長に日々驚いています
英語には大苦戦。それでも「移住してよかった!」
──牧野さんご自身のアメリカでの生活はどうですか?
買い物や運転などの日常生活に関しては、慣れてしまえばなんとかなるし、仕事はほぼ日本語で行っているので問題ないのですが、英会話に関しては、正直めちゃくちゃ苦労しています。渡米前に「1年後、これくらいはしゃべれるようになっているだろうな」と想定したレベルには、現時点ではまったく届いていません。
私は子どもの頃から、相手の口の動きを読み取って言葉を理解する「読唇」という方法でコミュニケーションをとってきましたが、英語は舌や喉を使う発音も多いので、口先の動きだけで理解するのが難しいんです。音声文字認識アプリを使えばコミュニケーションを取ることはできますが、やっぱり英語で直接、会話できるようになりたいです。
──大きな挑戦となったアメリカ移住ですが、「期限はいつまで」と決めての渡米だったのでしょうか?
「とりあえず行ってみよう」という感覚で始まったアメリカ生活なので、いつまで続けるかは今のところ未定です。ビザは5年間有効なので、まずは5年。ビジネスもどうなるかわからないので流れに身を任せます。英語に苦戦している米国での生活ですが、想定外だったのは娘たちの成長です。私はついつい先回りをして世話を焼いてしまうタイプだったのですが、こちらでは娘たちに任せることが多くなりました。
たとえば、お店に行って欲しい物が見つからないときにも、「自分で店員さんに聞いてみて」とだけ伝え、私は助けません。先日も靴を買いに行ったのですが、靴は自分のサイズを出してもらう必要がありますよね? そのやり取りも、娘たち自身で行わせています。今となっては、私より彼女たちのほうが英語が聞き取れるので、「そのほうが早い」と思っているのかもしれませんが……。おかげでアメリカに来てから、長女も次女もぐっと自立した実感があります。
──何事にもチャレンジを続けてきた牧野さんですが、今後の目標があったら教えてください。
私は、「できない理由を探すのではなく、できる方法を探してみる」をモットーに、これまでの人生を駆け抜けてきたように思います。幼馴染たちと一緒に地域の学校に通い、大学では心理学を学んで、海外旅行も、就職も起業も、やりたいことには何にでもチャレンジしてきました。
2022年からのアメリカ暮らしでは、予想以上に英語に苦戦を強いられていますが、それもいつかはきっとできるようになると信じているんです。だから今の目標は、5年、10年かかってでも、英語でコミュニケーションをとれるようになること。そして、そんなあきらめない母の背中を、娘たちにも見せていきたいなと思っています。
PROFILE
牧野 友香子(まきの ゆかこ)さん
1988年大阪府生まれ。生まれつき重度の聴覚障害がありながらも、幼少期から読唇術を身に付け、幼稚園から高校まで一般校に通う。神戸大学に進学し、卒業後は一般採用でソニー株式会社に入社。難病を患って生まれた第一子の出産をきっかけに、難聴児やその家族を支援する「株式会社デフサポ」を立ち上げると、YouTube チャンネル「デフサポちゃんねる」も話題に。2022年より夫と長女、次女と共に渡米し、現在はアメリカ在住。
『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』(KADOKAWA・1650円)
生まれながらに重度の聴覚障害がありながらも、持ち前のバイタリティと天性の明るさを武器に人生を切り開いてきた半生を綴ったエッセイ。思春期の葛藤や失敗談、運命の夫との結婚や難病を患って生まれた長女の育児、起業からアメリカ移住まで……。母になっても社長になっても、つねに全力で夢を追いかける“七転び八起き”な日々!
取材・文/小嶋美樹 撮影/光文社写真室
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