長野五輪金メダリスト里谷多英さん、現在はフジテレビ局員として活躍「お客さんの生の声にやりがいを感じます」

4年に一度の祭典で世界中を感動の渦に巻き込むオリンピアン。引退後、皆が指導者や競技に関わる職業に就くわけではなく、選ぶ道は人それぞれ。でも新たな道を決めるきっかけとなったのは、やはり「選手」だったからこそ見えた景色、出会い、思いだったようです。

▼あわせて読みたい
【画像】長野五輪金メダリスト里谷多英さん、フジテレビ局員として活躍中


里谷多英さん 48歳・東京都在住
(株)フジテレビ事業局販売企画部 副部長
モーグル ’98 長野五輪 金メダル ’02 ソルトレイクシティ 五輪 銅メダル 他

個人競技から人と関わる仕事に。
お客さんの生の声にやりがいを感じます

長野冬季オリンピック、フリースタイルスキー女子モーグルに出場した里谷多英さん。21歳にして日本の女子選手として史上初の金メダルを獲得しました。

長野オリンピック後、一度競技生活を終えようと考えていた里谷さんに、フジテレビから声がかかったそうです。競技生活を続けようとは思っていなかったので、スキー部がある企業に就職したいという特別なこだわりはなかったと言います。「でもやはり競技を続けたいと思ったところ、フジテレビがスキー部を作ってくれました」。

入社後も、人事部に所属しながら選手生活を続けていた里谷さんは、ほぼ一年中練習の日々を送っていました。その後、ソルトレイクシティオリンピックで銅メダルを獲得し、トリノ、バンクーバーオリンピックに出場。ソチオリンピックの選考で、最終的に出場できなかったことを機に、’13年選手生活を引退しました。

「引退後、自分に何ができるかを考えたとき、選手時代にスキーの大会やイベントに多く関わった経験から、イベント関連の仕事をしたいと思うようになり、現在の部署を希望しました。競技者のときは、自分の技術や体のことだけ考えて、自分が良い成績を出せば良かったのですが、会社に入るとやはりそうはいきません。好き勝手に行動できず、多くの人と関わることになるので、慣れるまで大変でした。覚えるのに必死で、すべて調べてはノートに書き続けていました。でも先輩や後輩が優しく教えてくれて、たくさんの人に助けられました。3年間頑張って、もう無理だと思えば辞めようと思っていましたが、楽しくなってきて今まで続けられています」。

事業局でスポーツのイベントを手掛けるイメージでしたが、里谷さんの担当は、舞台、歌舞伎、美術展、クラシックなど。これまでは遠い存在だったものが仕事になりました。

「営業の仕事をしているので、『メダリストの里谷さん』の名前ですぐに覚えていただけるのは助かります。例えばイベントの協賛をどこかにお願いする際に自分の人脈を使って直接依頼すると、仕事が進めやすくなります。里谷という名前が知られているおかげで、営業活動がスムーズに進むと感じました」。

これからもイベント関連の仕事をしていきたいと話す里谷さん。「イベントは会場に行けたり、生のお客様の顔が見えたり、そういったところにやりがいを感じます。人気のイベントの際には『こんなにみなさんが楽しそうに来てくれる』と、嬉しくなります。しかしスキー関連にも再び関わりたいと思っています。やはり雪が好きで、スキーも好きなので、将来的にはコーチなどとして関わることができればと思います」。

「長野オリンピックは自国開催だったので、応援が生で伝わる感覚でした。緊張はあまり感じず、平常心で試合に臨めました。私が関わった恐竜展で、子どもたちがワクワクしながら入場を待っている姿を見たときは、本当に嬉しかったです」。

<編集後記>インタビュー中に時折見せる笑顔が素敵でした

笑顔の写真が苦手だと話していましたが、取材中に自身が手がけたイベントの話をするときは、笑顔が自然と零れていました。今の仕事は大変だけどやりがいがあると話す里谷さんは、これからもイベントの魅力を伝え続けると感じました。またこの先、オリンピック中継などで里谷さんの姿が見られる日を楽しみにしています。(ライター 加藤景子)

撮影/BOCO 取材/加藤景子 ※情報は2024年9月号掲載時のものです。

おすすめ記事はこちら

ラグビー元日本代表・五郎丸歩さん「自分でコントロールできないところにプレッシャーを感じても、何も変わらない」

五輪金メダリスト内村航平さんの母・周子さん「息子愛がいびつにならないために、今できることとは?」

バドミントン元日本代表の潮田玲子さん「一番だめなのは、失敗をそのままにすること。失敗したことから逃げてしまうこと」

STORY