7児の母・堀ちえみさん(56)「子どもの人生は親のものではない、自分の命は自分だけのものではない」

少子化時代と言われて久しい今日。そんな中で、たくさんの子どもたちに囲まれて、元気に楽しく大家族を切り盛りしている母がいます。苦労も大変さもありながら、家族も自分も大切に生きる彼女たちの、ライフスタイルや心の持ち方について取材してきました。今回は堀ちえみさんです。

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堀 ちえみさん 56歳・東京都在住
歌手・タレント

子どもの人生は親のものではない
自分の命は自分だけのものではない

いちばん下の娘が21歳になり、長らく携わってきた5人の子育ても、これでやっと一段落です」。と語るのは、80年代を代表するアイドル、堀ちえみさん。22歳で結婚、3人の男の子を授かったものの32歳で離婚。その後、’00年に再婚され、同年に四男、’02年に長女が誕生し5人の母親に。シングルマザーではなくなったものの子育てが楽になるはずもなく。

また、当時は大阪在住だった堀さん。東京での仕事も多く、週半分は大阪から通っていたそう。「いちばん下の子が小学校に上がるまでは、絶対に終電に乗って大阪に帰り、翌日の始発で再び東京に戻る。一日の終わりに必ず子どもたちの顔を見ることをマイルールにしていたんです」。

仕事がどんなに忙しくても守り抜きたいマイルール。その先にあるのは、「子どもの人生は親のものではない。子どもには幸せに暮らせる術を身につけてもらいたい」という思いだったそう。「私自身、過干渉な育て方を受けていた経験から、子どもの意志を尊重し自立させることが子育てには大切だと感じていました。そのためには、心が育つ幼少期に安心の種を植えてあげる。種とは親の愛情だと思うんです。一緒に時間を過ごす中で母親の存在を感じ、安心してほしい。その種が育っていけば自分の道を自らの足で歩んでいけるようになると思うんです」。

’11年、2人の子どもを持つ男性と3度目の結婚。7人の母となった堀さん。’19年には末っ子の次女も高校生となり、子どもたちの手が離れてきたと感じ始めた矢先、堀さんに癌が見つかります。2月に口腔がん、4月に食道がんと立て続けに大きな病に立ち向かうことに。

しかし、最初の舌がんの告知を受けたときは、手術を受けようとはなかなか思えなかったそう。「実は私自身、さまざまな病と闘ってきました。もうこれ以上、痛い思いをしたくないという気持ちから、これ以上の延命をしなくてもいいかなと」。

そんな堀さんを思い止まらせたのは、涙ながらに発せられた次女の「生きてほしい」という言葉。自分の命は自分だけのものではない。家族のため、手術することを決意したのです。

「私自身、子ども時代は生きづらく、苦しくて自分の居場所が見つからなかった。でも、母になり子育てをしていく中で自分の未熟だった心も育ち、やっと生きやすくなった気がしたんです。それだけじゃない、子育ては私を強くし、たくさんのパワーをもらいました。病気になり、いったん手放そうと思った【歌うこと】。7人の子どもたちからもらう力を携え、頑張ればできるということをライブ開催できたことで実感しました。これからは、誰に何を言われようとも、〝自分ファースト〟でいろいろなことに挑戦したい! だって、これが私の、そして家族の幸せなんですもの」。

息子が5人、娘が2人!

「’19年舌がん手術後に撮影した病室での一枚。週末になると家族がぞろぞろと病室を訪れ笑わせてくれました。きっと主人が子どもたちに声掛けしてくれていたんだと思います。」
「長女とは互いに書いた日記を交換し合っていました。他愛もないことばかりではありましたが、会話が難しい中で文字を通しての娘との会話は私にとって大切な時間でした。」
舌がん手術で舌の6割超を失った中、歌うことを目標に励んだボイストレーニングで使用した「リ・ボ・ン」の歌詞カード。たくさんの書き込みは強い意志の証し。
5年ぶりに開催された“ちえみちゃん祭り2023”。ライブ写真提供:松竹芸能/テンダープロ@Yui Kishino

<編集後記>大病を乗り越えた強さの秘密。それは子どもたちからもらった力

生気に溢れ、笑顔が眩しい堀さん。その笑顔は愛くるしいアイドル時代のものと変わらない印象でした。辛かった病気のことも丁寧に答えてくださる優しい雰囲気に包み込まれ、気持ちが温かくなりました。7人のお子さんたちからもらった“力”から生み出される人を惹きつける魅力なのかも!
なんて思ってしまいました。(ライター 上原亜希子)

撮影/上原亜希子 取材/孫 理奈 ※情報は2024年3号掲載時のものです。

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