池上彰さん「私のように夢が見つからなかった子が、一冊の本から夢が広がる可能性だってある」
夢がまだ見つからない子と、そのお母さんへ――池上彰さんに伺いました。
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池上 彰さん
ジャーナリスト。監修した『なぜ僕らは働くのか』(学研プラス)は、わかりやすい池上流解説で思春期のキャリア教育にも圧倒的支持を得てベストセラーに。
◇ 小学6年の頃、夢がなかった私は先生にひどく怒られました
「将来何になりたいですか――?」
私が小学校6年生の時、学校で先生が一人一人にその答えを尋ねる、ということがあったんですね。
「何になっていいかわかりません」
私はそう答えたんですよ。 そう、実は私も小学校高学年の頃は、未来なんか描けてなかった。すると、「将来、どういう仕事に就きたいか、今からちゃんと考えてなきゃダメでしょ」と、先生にひどく怒られましてね。そんなこと言われたって、ないんだからしょうがないじゃないか……、そう思ったのを今でも覚えています。
それからしばらくして、小学校6年生の夏に、たまたま書店で『続 地方記者』という本を見つけて。朝日新聞社の地方支局の新聞記者たちがライバルとしのぎを削って殺人事件の取材をするうちに、警察より先に犯人にいきついて、「自首しなさい」と説得したりなんて話がいっぱい出てくる。面白そうだな、と320円と少し高かったけれど、おこづかいで買ったんです。当時は、ニュースというとテレビはNHKが短時間でやっているくらいで、新聞しかなかった。それまでは、何になりたいか決めなきゃいけないなんて言う先生に反発していたんですが、たまたま手に取った本から、絶対将来は地方で働く新聞記者になりたいと思いましたね。
◇ 子どもの夢はくるくると変わって未来に繫がる――
ところが、子どもって夢がくるくる変わるもので、中学生になると「将来は気象庁の予報官になりたい」と思うようになりました。 入部した天文気象部で、毎日雨量を測る活動をするうち、それがだんだん楽しくなってきたんですね。
しかし、高校に入った途端、数学も物理も苦手になってしまって……。どうしたら気象庁の予報官になれるのか調べてみると、当時は運輸省(国土交通省)管轄下の気象大学校に入って勉強しなければならず、そこがバリバリの理系だったんですね。そこで挫折です。
一方で社会科の授業で学んだ政治経済が面白いな、と思うようになって、大学は経済学部を選びました。
やがて就職について考える時期を迎え、「どうしようか……」と思いを巡らせていると、ふと小学生の頃「新聞記者になりたい」と夢を描いたことを思い出したんです。 そこから改めて調べてみると、ニュースを扱うのが新聞に限らずテレビも充実してきた頃だったので、テレビという選択肢も出てきたんですね。当時は、新聞とテレビは就職協定を守っていたので、どちらかに選択を迫られたんです。それで、両方に願書を出して、前日まで悩んでNHKを受けました。
希望が叶い、社会人1年目から3年間は島根県の松江で、その後3年は広島の呉で地方記者を経験しました。警察や検察、裁判所、市役所、県庁、農協、日銀と、地方での取材を通して日本がどのような仕組みでできているかを学ぶことができた。結果的に地方で働いたってことが今すごく生きていますね。
その後、東京に戻った私は、数年後に気象庁担当になるんですよ。台風が来て、気象庁から台風中継をやっていた時、「あれ? 中学生の頃、予報官になりたいと思いながら実現できなかったけれど、同じようなことを今やっているぞ」と、ふと気づいたんです。不思議ですよね。
そして、NHKを辞めたら、今度は新聞にコラムを持ってくれ、ということになって、「あれ? 新聞記者と同じような仕事をしてるぞ」と、気づくんです。
だから、子どもの頃の夢って、その通りには実現しないかもしれないけれど、その周辺で叶うことがありうるんです。サッカー選手になりたいと思っていた子が、挫折してもその夢をずっと心に失わずにいると、スポーツ用品メーカーに就職したり、スポーツ雑誌のライターになったりと、夢の周辺で仕事をしているなんてことがある。だからね、焦らなくていいと思うんですよ。
池上さんが今も大切に持ち続けている『続 地方記者』。小学校6年生の頃に近所の書店で出合ったバイブルとも言える一冊。東京育ちの池上少年にとって、地方で働く新聞記者のリアルな仕事ぶりにはとにかく刺激的でハートを鷲摑みにされたそう。
挫折をくり返して、50歳半ばで 「物事をわかりやすく解説する」のが 自分の〝得意〟だと気づきました
◇ 大人になっても挫折しなが、 夢の形はまだまだ変化していく
大人になってからも、挫折を重ねて夢の修正は続いていくもので、NHKで「週刊こどもニュース」を担当していた頃、将来の夢は、NHKの解説委員になることだったんですね。解説委員になれば、定年まで取材に行けたり、テレビで解説したりできる。それで、「いずれは解説委員になりたい」と毎年、人事の希望に書き続けていたんです。
ところが、ある日、突然廊下で解説委員長に呼び止められて、「お前、解説委員になりたいって希望出しているけど、解説委員にはなれないからな」と言われたんです。「解説には必ず専門分野が必要だけれど、お前はこどもニュースであらゆる解説をしているけれど専門分野はないだろう。だから、解説委員にはなれない」と言うのです。すごい衝撃で、50代半ばで大きな挫折を感じましたね。
それで、「何ができるんだろう? 専門は何だろう?」と自分を棚卸ししてみたんですね。そうして見えてきたのが、確かに専門はないけれど、物事をわかりやすく説明するというのが、私の専門分野ではないかと思ったんです。そんなニッチな仕事をやる人はこれまでにいないから、ひとりくらいこの仕事で食べていけるんじゃないかと思い、NHKを辞めてフリーランスになりました。
あなたは夢を持っていますか? 子どもは大人の後ろ姿に学ぶ
基本的に教えたがりですから、「へー!」っと聞いてくれるとすごく嬉しい。大学の学生でも、スタジオの芸能人でも、そんな姿を見ると、嬉しくなる。結局、それが生きがいなんです。
それと共に、60歳まで無事働くことができて世の中に恩返しをする時だな、それには、自分が得てきた知識を若い人に伝えることしかないのかなと思っていました。そんな矢先、ある大学から学生に世の中の仕組みを教えることをしてみませんかと誘われ、その仕事を引き受けたんですね。すると、それをきっかけに様々な学校から声を掛けていただくようになりまして、今では11の大学で教えるようになりました。これが、今の私の本職です。60歳を過ぎて天職に出合った。あとは、やはり文章を書くことが好きですから、執筆が2番目の仕事。その合間にテレビに出ているというスタンスですね。
もちろん、今も夢はあります。最近では、ChatGPTに負けないものを書ける人間になりたいし、学生にChatGPTにレポートを書かせて終わりなんてことにならない教え方をしたい、そう思っているんです。
最後に、お母さんたちにお伝えしたいのは、子どもは親がどう生きているかをよく見ているということです。お母さんも夢があって、それに向かい勉強する姿を見せることが、結局は子どもにいい影響を与えるんだと思います。
子どもに「本を読みなさい」という前に、お母さんは本を読んでいますか? 私のように、夢が見つからなかった子が、手に取った一冊の本から夢が広がっていく可能性だってあるのですから。
撮影/平井敬治、沼尾翔平、杉本大希 取材/奥村千草、石澤扶美恵 ※情報は2023年6月号掲載時のものです。
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