タイタン社長・太田光代さん「こんなはずじゃなかった」人生と仕事を振り返って
お笑い芸能事務所・タイタンの社長として爆笑問題や昨年M-1グランプリを制したウエストランドの活躍を後押しする太田光代さん。爆笑問題の太田光さんにとって公私ともに良きパートナーである光代社長はSTORY 世代より少し上。小学生のころの夢は家族のために料理を作る「お嫁さん」だったと言います。「社長として会社経営するなんて思ってもみなかった」という人生の大転換、そこにあるのは光代社長の大胆なチャレンジスピリッツと表裏一体のやまとなでしこ魂。社長、不妊治療、そして一流芸人の妻、と導かれるように「誰も選んだことのない未開の地」を進んできた太田光代さんのたくましくも健気な半生は私たちのこれからを照らしてくれる灯となりそうです。
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太田光代(おおたみつよ)
1964年7月6日、東京都生まれ。モデルやタレント活動などを経て、1993年、芸能事務所・タイタンを設立。現在は社長業のかたわら、自身もタレントとして活躍。夫は爆笑問題の太田光。2ヶ月に1度、東京銀座で行われる『タイタンライブ』を、『爆笑問題 with タイタンシネマライブ』として、全国25のTOHOシネマズ系映画館にて同時生中継しています。詳しくはHPをチェック!
夢は「お嫁さん」。 小学生のころから料理学校に
小さいころ、はじめは医者になりたくて幼いながらもすごく頑張って勉強していたんですが、あるときいろんな事情で医者は無理だということになって。そのころ私は家の中で家事全般を請け負っていて食事も作っていました。本格的に習いたいなと思って料理教室に通い始めたら、そこに来ていた、いわゆる花嫁修業中の家事手伝いのお姉さんたちがとってもキラキラしていて眩しくて(笑)。
私もこんな風に可愛くてきれいなお嫁さんになりたいな、とふんわり考えていました。とはいえ、お姉さんたちは料理の基本もあんまりできていなくて(笑)、家で日々ご飯を作っている小学生の私の方が全然手慣れてるんです。お姉さんたちが包丁の刃先でジャガイモの芽を取ろうとするので、慌てて刃元、つまり柄の近くの角っこでえぐるのよ、と教えたりして先生にすごく褒められました。
爆笑問題が抱えていた“問題”解決のために成り行きで社長に
高校を卒業してからは読者モデルやテレビ番組のアシスタント、芸人活動をしていました。実は当時お付き合いしていた年上の方がいて、非常に理想的な方だったんですが、結婚の話がで始めたときに私の仕事がちょうど忙しくなって。私は変に責任感が強いところがあるので途中で仕事をやめるわけにはいかない。「ちょっと待って」と言っているうちに年上の彼は去って行ってしまいました。ご縁がなかったんでしょうね。
そんな中、同じ事務所だった爆笑問題との合同コントでの打ち合わせで太田と出会って。よく知らない人がうちに転がり込んできて、そのまま居ついちゃったんです。彼は当時フリーターですから完全にヒモですよ、ヒモ(笑)! 当時、爆笑問題はちょっといろんな問題を抱えていて……、なんとかしなきゃ! という思いで1993年にタイタンを作りました。最初はほんと爆笑問題だけの会社で、爆笑問題カンパニーでやろうと思っていました。あの人たちならいろんなことできるだろうな、と。
この一連の流れも、とくに私が推し進めたわけではなく、ヒモくんと相方の田中にあまりに仕事がないから、食い扶持をなんとかつながなければ、という思いだけ。社長になりたいとか、経営が云々とか、ましてやお笑い界で天下をとってやる! なんて野心は一切なく、ただ爆笑問題をなんとかしたい一心でした。でも、後からわかることなんですが、実は私、案外社長業の基本が体にしみこんでいたんです。
経営のイロハは実は高校時代の “居眠りタイム”で築かれた??
家では家事全般を担っていたので、授業中めちゃくちゃ眠かったんです。とくに高校時代は一人暮らしをしていてバイトもあり、すごく眠くて。選択授業を選ぶ時、授業中に寝ていても単位が取れる授業と思い、商業一般の授業を選択しました。
通っていたのは普通科でしたが、選択授業に簿記や会計、マーケティングを学べる商業系の専門科目も選べたんです。もうとにかくちょっと授業中寝て、申し訳ないんですけど点数だけ取れればいいんでしょっていう感覚で出席してました。
睡眠目的で受けているので当然寝ちゃうんですが、寝ている間に会社を運営する基本、例えば商業手形や約束手形のことが頭のどこかに刷り込まれていたんでしょうね。ちょうど私たちが会社を始めたときは、まだ小切手があった時代。小切手に裏書き、とかね。授業で何となくそのあたりのことを勉強していたので最初から「うちは小切手は扱いません」と言って小切手商売はしませんでした。昔流行った「睡眠学習」というわけです(笑)。
今の時代、多少の毒は必要。 みんな同調したら国は死んでしまう
私が会社をやっていく上で大切にしているもののひとつが、タレントにはある程度の自由度を持ってもらって、集団に迎合しない思考・信念を持って行動してもらうこと。考え方というのは色々あるからいいわけであって、ちょっと枠を外れた意見が出てくるとなぜ叩くのでしょうか。ひとつに統制しようとする風潮、ちょっと私には理解できない。
日本人は危険因子を 怖がるんですよね。怖がった結果、それを排除しようとするんですけど、排除しちゃうと発展がないんです。この人は、なぜこれを言ってるのかを考えなきゃダメなんですよ。ある人が過激な発言をして物議をかもしたら、その人の言うことは全部間違ってます、みたいなにしちゃう傾向が個人的にはちょっと嫌だなと思っています。そんな風に排除しちゃうと女性の活動はもちろん男性にとっても、国にも将来がなくなってしまう。多様な意見はすごく大事だと思っています。
不祥事なんて怖くない(笑)。いや、もちろん内容にもよりますけれど、私は不祥事よりも世の中に迎合して言論の自由が先細りしてしまう方が怖いです。意見を戦わせることを諦めてしまったら国は死んでしまいますから。
実は毒舌の太田や、井口の方がまとも。 謎なのは田中と河本
爆笑問題やウエストランドで言うと、毒舌で切り込む太田や井口が破天荒でトガッてるように思われますが、アブないのは実は相方のほうだと私は思っています。田中も河本も「何を考えてんだ? こいつ」って感じで頭の中がわかりづらいんです。人間は理解しなきゃいけないものだと思っているので、なんとか理解しようとするんですけど、田中と河本に関しては、本当にわからない。
とはいえ、河本に関しては最近まであまり深く考えたことがなかったんで、ここにきて急に「あれ?彼ってなんかヤバイのかも?」と気になっています(笑)。どういうところを伸ばしてあげればいいのかっていうことを、また田中のときと、同じように考えなきゃなんないのかと思うとすごいプレッシャー(笑)。
皆さんは、爆笑問題やウエストランドは太田や井口が暴走するのを相方がコントロールしているように思われているかもしれませんが、そんな風にいうと太田や井口は怒ります。とくに爆笑問題はネタを作っているのは太田ですから彼は田中に一生懸命教えているわけですよ。できない田中がツッコミを間違える。でも、太田はボケなきゃなんない。そのジレンマってなかなかのものです。
お笑いをやっている人は笑いが正義。 みんな何かしらサイコパス
お笑いの人の共通点は、人が笑ってくれることで生きがいを感じているということ。人を笑わせるのが好き、笑っている人を見るのが好きなんです。皆さん笑いに厳しいけれど、それって何のためかと言うと人を笑かすためであって、それに対する集中力はすさまじい。 自分の変なところも全部さらけ出して人に変だと思ってもらったりするのも喜びですから、自分を守ろうとか自分可愛いと考えているとできません。その結果、家族が巻き添えをくらう、そういう人は多いですよね。皆さん、世の中の人を楽しませることが最優先で、身内のことは後まわしになっちゃう。一筋縄にはいかない。
そういう意味では芸人はサイコパスと言ってもいいかもしれないですけどね。というか、その要素がないと多分無理だと思いますね。
えいやっ! で起業しちゃったけど女のシアワセはどこへやら。人生、思ってもみない方向に転がってばかり
私が20代のころ、つまり30年ほど前って女性で起業する人ってほんの一握り、というかほとんどいなかったと思います。一生仕事を続けるという感覚も珍しくて、仕事か家庭か、結婚するなら仕事を辞めるとか、仕事するなら妊娠・出産は諦めるとか、離婚するとか。何かを得ようとしたら何かを手放さなくてはならない時代でした。私も夢がお嫁さんだっただけあって、起業するなんてこれっぽっちも考えていなかった。爆笑問題を助けるために会社を作ろうと思い立ったときも、田中は「やってもらえれば助かる。」太田は、「大変だからやめた方がいいよっ」と言っていました。自分でどうしようもない状況にしておきながら(笑)。
振り返ると、自分のどこかに二兎を追う者は一兎をも得ず、みたいな感覚があったのかな。会社を作ってタレントという子どもを抱えるのだから、何もかも望むのは難しいのかもしれないという気持ちもあったのかもしれません。
私、子どものころから30代になるのを楽しみにしていたんですよ。きっと主人と子どももいて、金も余裕もできて、という中で、子どもから少し手が離れたかなっていう時期だったりするかな、いちばん楽しいことをできる世代じゃないかなと思っていたんです。それがタレント業と社長業で忙しすぎて、不妊治療も中途半端になってしまって。子どものころに思い描いていた人生とは似ても似つかぬものになってしまいました。何の因果か(笑)、こんなはずじゃ、なかったんですけどね。
撮影/河内彩 ヘア・メーク/清水寛之 取材・文/柏崎恵理
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