浮気はうすうす感じていたんですが、知らないマンションの固定資産税のお知らせにおののきました

関西においては「お金に余裕のある男性なら浮気をしてあたりまえ」で、だからこそ妻は家でも身綺麗にしているのだとか。その真偽のほどは謎ですが、古い家ならではの妻の務めと役割が今も存在するのは事実。そんな家に生きる40代のお話です。

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関西では夫の浮気はあたりまえ!?

◯ 話してくれたのは...荒川凪香さん(仮名)

京都府生まれ。大学卒業後、家事手伝いを経て、24歳で結婚し、現在は神戸在住。落ち着いた物腰で、まじめな性格。ワインが大好きで、40歳でソムリエ資格を取得。荒川静香さん似のしっとり和顔美人。長男は17歳。

夫 京都府生まれ。男気があり、気前もよく誰からも頼りにされる。些細なことにこだわらず、自由人。飲食店の経営者。

まだ大学生だった19歳のときからお見合いを続け、19回目で出会った2歳年上の経営者の夫と結婚したのは24歳のとき。顔は好みじゃなかったけれど、背が高く、性格も優しくて、この人ならと初めて思えた人でした。

子供のころから、結婚は経済力があり、尚かつしっかりした家庭に育った人とすべきと両親に諭され、私自身もお見合い結婚と決めていました。だから恋人がいても心に歯止めがかかり、結婚したいと思うことはなかったんですよね。夫の実家は事業家で、夫も関連企業のレストランの経営者。両親も真面目な良い方で、結婚相手としてはこの上ない条件でした。

でも実はお見合いから3度目のデートをした直後、夫側から断りの連絡があったんです。「封建的で家族の多いうちのような家庭に来てもらう人ではない」という理由。私の家は現代的な家庭でのびのび育っていたので、とても務まらないと思ったようでした。残念な気持ちはありましたが、失恋というほど落ち込むこともなく、割り切って「じゃあ次行くか」と次のお見合いを待っていた3カ月後に「忘れられないからもう一度会いたい」と連絡があり、そのままとんとん拍子に結婚に至りました。

古いしきたりも覚悟の上、まさに嫁ぐという感覚で結婚したのですが、実際は想像を絶する封建的な家でした。夫は兄弟が多くそれぞれ配偶者と子供もいて、みんな近所に住み大家族。なんと年に十数回も家族ぐるみの行事があり、何もかも一から進んで覚え、お正月といえば食事係として総勢30人以上のおせち作り。複雑な人間関係にも耐え、日々悪戦苦闘。

夫はよい人ですが亭主関白で男気の強い人。スーパーなどは男の行くところじゃないと思っていますし、荷物なども一切持ってくれませんが、十分な生活費を入れ、とても私を大事にしてくれていました。だから封建的な家族にも耐えられたのだと思います。

ところが、その生活にも徐々に慣れてきた結婚数年後、当時夫は電子手帳を持ち歩いていたのですが、ある日家に置き忘れ、パッと見たら女性の名前が羅列。これが最初の疑惑でした。今思えば取るに足りないことですが、純粋だった私は悲しくなり、夫を問い詰めると「人のものは見るものじゃない」となだめられて終わりました。

しばらくして、家に髙島屋のシャネルの領収書が落ちていたにも拘わらず、数日後私の誕生日にプレゼントしてくれたのは大丸シールのシャネルの袋。明らかに私以外の人に買っているのは明白でした。不審な出来事は度々あり、でも確実な証拠は摑めないままでいました。

また私たちは子供にすぐに恵まれず、5年経ってもできませんでした。事業が飛ぶ鳥を落とす勢いで、家でご飯を食べることはほとんどありませんでしたが、家にいるときは子供のことも可愛がってくれました。私の誕生日とクリスマスには必ずプレゼントをくれたし、年2回の家族旅行も欠かしません。

しかし、暗雲が立ち込めるようになったのは今から10年前、圧倒的に外泊が多くなってきたのです。もともと私は理論的で感情を素直に外に出せないタイプ。だから不審に感じても証拠も何もない状況で夫を責めることはできず、責めたとしても、言いくるめられることはわかっていたので、静観していました

しかし、ある日ポストに駅前のマンションの固定資産税の納付書が入っていたのです。うちは一軒家だし、夫の日々の行動から考えても女性に購入して住まわせているとしか思えません。まともに聞いても言わないに決まっているし、証拠もなかったので、問い詰めることもできずにいましたが、今こそ行動を起こす以外ないと思い、これまで絶対にしなかった携帯電話を見たのです。

メールによって浮気が明らかになり、A市にあるクラブのホステスが愛人で、そのマンションに住まわせていることが判明しました。その上、1人だけでなく、他にも数人の愛人がいることもわかりました。ショックでした。腹も立ちました。当時夫の仕事は最盛期でしたから、女性が寄って来るんですよね。夫に携帯のメールを叩きつけてすっきりしたいけど、自分のやっていることを棚に上げて怒るだろうし、働く経験のなかった私は子供と2人で生活していく自信もなく、離婚という話になったら危険。離婚に至らず、夫に浮気をやめさせる方法はないものかいろいろ考えました

その結果、夫は義父に頭が上がらず、言うことを聞くので、私も信頼している義父に相談したのです。携帯を見たことは伏せ、外泊が多いこと、愛人にマンションを与えていることを具体的に話しました。義父は信じてくれました。そして時期を見てお灸をすえてくれたのです

夫は、義父に改めると約束し、私にも謝ってくれました。義父というワンクッション入れたことで、夫婦が気まずくなることなく再び日常が戻ってきました。その女性とどうなったのかはわからないままでしたが、改めると言っている夫の言葉を信じようと思いました。その後も忙しくて家にいないのは変わらずでしたが、外泊は減ってきました。でも私の気持ちは何となくすっきりしないままでした。

私たちは昔も今も決して仲が悪いわけではなく、喧嘩もしません。夫は私の両親を海外旅行へ連れて行ってくれるという優しい面もある。細かいことも言わないし、好きなことを何でもやらせてくれていました。普通以上の暮らしをさせてもらっていることも離婚しない大きな理由でした。

ところが数年前、長男が海外留学し、1人でいる時間が増えてくると、ふと、このままでいいのかな、もっと対等で毎日一緒に過ごせるような男性の方が私は幸せなのではないだろうかと考えるようになっていったんです。実は騒動の直後にソムリエの資格を取得し、仕事までには至ってなかったのですが、前進するために不定期にレストランでアルバイトをするように。お給料を頂くようになると、私でも自立できるかもしれないと離婚を真剣に考え始めました

でも離婚後の生活をシミュレーションして想像しても、自分の幸せな姿が浮かんでこないのです。それよりも、夫だけでなく、義父母をはじめとする親族の顔が浮かびます。私の居場所はここだということに気が付きました

結婚当初は辛い思いもしたけれど、結局は一族に守られていたんですね。そう思えると、気持ちがすっきりし、それまでは全面的に浮気をする夫が悪いと被害者意識が強く、心の中で責めてばかりいましたが、私も態度を変えてみようと思いました

朝は必ず「いってらっしゃい」と夫の車が見えなくなるまで見送り、夜中に帰りが遅くなるとメールが来ても、今までは無視していましたが、「お疲れさま」と返信すると、帰りが早くなってきたのです。用事がなくても姑の家を訪ね、話を聞いてあげる習慣も毎週日曜日の午後に行くと決めて、実行するように。夫が家でご飯を食べることはほぼないと頭から諦めていましたが、夫の体調が悪いときに温かいお汁を作って出すと、感激してくれたり。

自分を振り返ってみると、基本中の基本ができていなかったし、あたりまえのことが相手の心に響くとやっと気づいたのです。自暴自棄になっても誰も助けてくれません。心持ちを良くし、自分で自分にエールを送ろう。相手がどうであれ、自分自身がやるべきことを積み重ねていくことがよい未来を作っていくと信じ、一日一日を一生懸命生きていきたいと思っています。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2016年掲載時のものです。

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