父の急逝で突然、跡を継いだ町工場が笑顔の多い職場になるまで
〝持続可能な社会を!〟と叫ばれる一方で、後継者不足に悩み、廃業になる企業が後を絶ちません。そんななかで、誇りを持って家業を受け継いだ〝跡取り娘〟を取材してきました。
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諏訪貴子さん(51歳・東京都在住) ダイヤ精機(株)代表取締役社長
父の急逝で突然 跡を継いだ町工場
もう一度、日本の強い“ものづくり”
技術を世界に広げたい
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精密金属加工メーカーであるダイヤ精機株式会社2代目社長の諏訪貴子さん。大学卒業後に自動車メーカーに就職し、出産を機に退職。その後は専業主婦をしていました。
「専業主婦は3日で飽きました(笑)。子育てをしながらタイピングの練習をしたり、結婚式の司会の仕事をしていたこともありました。父に誘われ会社で働いたこともありますが、意見が合わず退職しました」。
そんな中、諏訪さんが32歳のとき社長に就任することになりました。きっかけは父親の急逝でした。「癌を患って手術も成功し、安心していた矢先のことでした。そのとき私は当時の夫の転勤でアメリカに行く予定でした。やるか、やらないか。やると決めたら後戻りできない選択でしたので、今までで一番苦しい時間でした。最終的には自分が後悔しない選択をしたいと、事業を継ぐことを決意したんです」。
当時は製造業の女性社長は珍しく、年齢が若いこともあり、周囲からは期待されるどころか心配されていたといいます。「社員からは反発がありましたし、銀行からはM&Aを提案されていました」。
3年はがむしゃらに頑張ろうと決意した諏訪さん。「シェイクスピアの“人には幸も不幸もない。考え方次第だ”という言葉に出合って変わりました。大変・苦労・ネガティブなことは自分で決めてしまうものだと分かって。例えば社員の反発にしても、嫌なら辞めることもできるのに、ぶつかってきてくれる。それほど会社を大切にしてくれているんだな、と思えるようになりました」。
社員のリストラやITの導入など苦渋の決断や新しい改革を実行し、業績は順調に黒字化していきました。現在では若い社員も増え、笑顔が多い職場だといいます。「私が採用した社員が多いこともあって、笑いのツボが似た社員が多いんです。また、2人以上で話をしていたらその輪の中に入るように伝えています。コミュニケーションはもちろんですが、今持っている知識や情報が深められます。そのことが新しいチャレンジに繫がります」。
現在は中小企業における女性の立場も変わってきました。「昔は女性社長というだけで目立ってしまい、嫌味を言われることもありました。今では講演会をしていると、“私も会社を継ぐことを決断しました”と声をかけられることもあります。嬉しいですね」。
諏訪さんは中小企業や町工場のリーダーとして、日本の“ものづくり”に携わる人たちの元気な姿を見たいと語ります。「中小企業が活性化し、ものづくり日本の強い技術を世界に広げて、先進国のトップを目指せる日本になってほしいと願っています」。
講演会や日本郵政取締役、政府の「新しい資本主義実現本部」の有識者としての活動も。
<編集後記>ドラマのモデルとなった社長はパワフルでポジティブ!
自らの半生を綴った本を出版し、NHKでドラマ化されるなど中小企業のリーダーとして活躍されている諏訪さん。社長業というだけでも大変な中、子育ても両立されていたなんて頭が下がります。いつも笑顔の諏訪さん、人に元気を与えることが仕事の半分くらいとおっしゃっていましたが、取材を通して私も元気をいただきました!(ライター・星 花絵)
撮影/BOCO 取材/星 花絵 ※情報は2022年9月号掲載時のものです。
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