もがきまくりの男の半生を描いた 自伝的さらけ出し小説|大久保佳代子のあけすけ書評
大久保佳代子さんの今月の書評をお届けします。
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『雌伏三十年』
◇ 今で言う「ワナビー」な地方出身者の無様で滑稽でイタさに、共感しかありません
芸人でありアーチストであり俳優でもあるマキタスポーツさんが書いた自伝的初小説。「俺にとって山梨は狭すぎる。だから俺は 京に出ることにした」という一文に象徴される自己顕示欲が炸裂した男の悪戦苦闘青春ストーリー。
お仕事でご一緒した際のマキタスポーツさんは、人の子供を育て高齢の両親のことも考えている立派な大人という印象だったので、こんなふうに紆余曲折・七転八倒していた時代があったとは驚き。でも、その経験があったからこそ今の仕上がりになっていることにも納得。
主人公・臼井圭次郎は「何者でもないくせに自分は人とは違うんだ」「まだ本気を出してないだけで絶対世に出る男だ」という自意識過剰ぶりがイタすぎる男。でも愛知県の渥美半島で「自分が勝負する場所はここじゃない」「東京に行けば認められる」と思っていた私には共感しまくりで。
私も20代前半は、観劇すらしたことのない宮本亞門さんや三谷幸喜さんの舞台オーディションへ履歴書を送りまくり落ちまくっていました。若さって恐ろしい。自分は人とは違うと思い込んでいたのに落ちるから、それを誤魔化すために恋愛に走ったりして、マジ無責任かつ横暴な嫌な人間でした。
圭次郎もそんな根拠のない自信が迷走し、ときにはテレビに出て売れたりしつつ、落ちぶれてライブハウスの店長になったり、アルコール依存症まがいになったり、人としてダメな限界線をさまよいながら、子供ができ家庭を持ち、親との別れがあり、や と大人になっていく。
まさに 1人の男のロングな成長記録。たぶん生涯に1冊しか書けない濃密な物語であり、多かれ少なかれ誰にでも当てはまる部分があると思います。
人生において、やはり誰もがターニングポイントとなりうるのは子供が生まれ親になること。「もうどうにでもなれ」という気持ちで父親になることを承諾したものの、生まれる直前まで前向きに受け止められない圭次郎の姿は、何も成し遂げられていない男の本音だと思うし、それでも「父親」という立場に立たされてしまったことで人生は変化し成長をしていくのだろう。
また、奥さんが圭次郎の苦手な「信念の人」で。「〝 信念〞、それが俺にはとても恐ろしい言葉。(中略)そういった念力は、自分の堕落さ加減を映し出す鏡のようなもののように思えてならなかった」という言葉も非常に胸に刺さりました。
私も、実はコンプレックス多めで自信がなく中途半端な人間だから、信念がある人は可能な限り避けたいほう。でも「信念のない人」の見苦しさって、これはこれで面白いなとも思わせてくれました。
あと母親の死に直面する場面ではいろいろ考えさせられました。親との死別もまさに人生のターニングポイント。圭次郎が葬式で「親父が降ろした親父という看板を俺が背負ってみよう」と決意し「それが、きちんと向きあえなかったお袋に対する俺の贖罪だと」。葬式をフェス感覚で仕切った結果、今まで関わってきた人々からたくさんの花輪が届いたり、多くの友人が葬儀にかけつけてくれたり、その様子はそれまでの人生の集大成のようで。
SNSが発達した現代にはなかなかない、昭和40年代50年代に地方で生まれ育ったもの特有のギラギラ悶とした野心。なんだか懐かしく、かつ愛おしくも思え鼻の奥がツンとするような気分に。「ここで生まれ育ち、ここ以外を知らずに死んでいくのはイヤだと思っていた。今は、あの頃と 違う感情が芽生えていて、否定も肯定も無い、不思議と心地良い感覚のなかにいた」。ふらっと実家へ帰りたくなりました。
『雌伏三十年』マキタスポーツ著 文藝春秋社 ¥1,870
今やマルチに活躍するマキタスポーツ氏の自伝的初小説はあがき、あえぎ、さらけ出し通しの拗らせ&泥臭さ、イタさ200%の1人の男の成長物語。詳細はこちら(amazon)
おおくぼかよこ/’71年、愛知県生まれ。千葉大学文学部文学科卒。’92年、幼なじみの光浦靖子と大学のお笑いサークルでコンビ「オアシズ」を結成。現在は「ゴゴスマ」(TBS系)をはじめ、数多くのバラエティ番組、情報番組などで活躍中。女性の本音や赤裸々トークで、女性たちから絶大な支持を得ている。
撮影/田頭拓人 取材/柏崎恵理 ※情報は2022年8月号掲載時のものです。
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