【上野千鶴子のジェンダーレス連載vol.9】「東大生たちの顔が真っ暗になる瞬間がわかりますか?」
進みつつあるジェンダーレス社会について、私たち親は、娘や息子たちにうまく説明できるだろうか? ジェンダー研究の第一人者に聞きます。
【上野千鶴子のジェンダーレス連載vol.1】「今の子どもたちは、親が送ったような人生は送れません」
こんな世の中だと、子どもたちが可哀想すぎる
Q.受験が終わり、ホッとした方もいると思うのですが、現在のようなジェンダーギャップがある中で狭き門を勝ち残っていかねばならない。だから親の側としても、子どもの受験や教育には力が入ってしまう。そういうことでいいのでしょうか。子どもたちを育てていくうえで、もっと取り組むべきことは何でしょうか?
東さんはどう思いますか?
Q.私はあまり子どもの受験に熱心なタイプではありませんが、周りのママたちはやっぱり受験に熱心な方が多いです。頑張って、一流の大学に入って、大企業に入る――そういった“やればできる妄想”が、まだ根強く残っているような気がしています。
競争社会に勝ち残るということばかり目指すのが問題ですよね。
以前、あるメディアのトークで、出産後に仕事復帰してから活躍し、家庭内ジェンダーに目覚めて離婚届を出した女性と対談しました。夫婦関係は解消しないけれど、別姓にしたいという理由からです。
私はそのとき彼女に聞きました。
「経済力に自信がついたから、あなたは夫と交渉を始めたんですか?」
すると彼女は「そうです」って。
彼女は、子どものいる前で、夫と交渉をしたと言います。
それは、お金がある自分の言うことを相手に受け入れさせた、つまり「お金がある人が強い」ということを子どもたちに教えたことになるのです。
お金があるって、そんなに価値のあることですか?
稼ぎの多寡にかかわらず妻の気持ちを尊重する夫との関係を、子どもたちの前で見せた方がずっと教育的でしょう。
お金を稼ぐために大企業の総合職を目指す競争社会。
でも、そうじゃない生き方だって、いっぱいあります。
大人の本来の役割は、「あなたの知らない選択肢がこんなにあるんだよ」ということを示してあげることだと思います。子どもが見ている社会は狭いのだから。
“それがだめならこっちがあるし、こっちがだめでもあっちがある。世界はこんなに広いんだよ”って。
お金だけが価値じゃないんです。
〈お金のある人の意見は通る〉ということを子どもの目の前で実践した先ほどの女性は、結局、3人の子どもをお受験させて名門校に入れました。結局、お金と競争社会の価値観からなかなか抜け出せない人も多いのかもしれませんね。
Q.シングルマザーの私の姉は、2人の子どもを大学に行かせたのですが、それは大卒のほうが賃金が高いからという理由です。1人は専門学校に行きたいと言っていたのですが、結局その子も大学に行かせました。
私は、大学は行かないより、行ったほうがいいと思います。
でもそれは、より多くのお金を稼ぐためではなく、大学に行ったほうが生き方の選択肢が圧倒的に広がるからです。もしその子が専門学校に行きたいのだったら、大学を出た後に行くこともできます。
大学教師として大学で教えてきて、私はこの子たちにどういうスキルを与えることができるのか、ということをずっと考えてきました。大学は自分で問いを立てて、自分のアタマで考え、自分で答えを出す、という訓練を受けることができる場所ですから。
Q.大学に行くと、訓練を受けられる時間がある?
はい。高等教育を受けられる機会は、ないよりはあったほうが、ずっといいです。
でも大変困ったことに、今は世代間格差だけでなく世代内格差も大きいんです。
ロスジェネ世代は非正規雇用が増えたとか、非婚率が高くなったなどと言っても、その一方で、正規雇用者や既婚者が多数派です。
すると、“やればできる妄想”のライフパターンしか知らない親たちは「あの子にできたことが、どうしてあなたにはできないの?」と言う。
そういった世代内の比較の中では、お金とポストが最大の尺度になっています。
私は東大生を教えていましたが、その子たちから何を感じるかと言ったら、
〈ああ、この子たちは親から条件付きの愛しか受けてきてないんだな……〉ということです。
親は〈私の期待に応えるおまえはいい子。でも私の期待に応えないおまえは私の子じゃない〉と。
おまけにその期待に応えてもらうために、親たちは半端じゃないエネルギーと時間とお金を使っています。子どもを東大に入れた親たちなら、なおさらです。
条件付きの愛は怖い。
子どもは感づいています。だから傷つきます。
これは、笑い事じゃないんです。
子どもは傷つきますし、壊れます。メンタルに問題を抱えた東大生をたくさん見てきました。
しかもきょうだいがいたら親は比較します。
“きょうだいに差別はない”というのは嘘。
「お兄ちゃんはあんなに出来がいいのに、おまえは……」みたいなことを親は平気で言います。
親って、本当にエゴイストで残酷ですね。
Q.東大生なら、なおさら親のレールに敷かれてきている人が多いのでしょうか?
東大生って、親と教師の期待に応えようとけなげにがんばってきた優等生なんです。
だから、東大生にいつも言うのは、
「あんたひとりの力でここに来れたと思うなよ」って。
それは、子どもたちもわかっています。
教育投資って、回収を予期したおカネ。
彼らに「今まで親が使ってきたお金やエネルギーはただじゃない。親は取り戻す気でいるからね」と言ったら、東大生たちの顔が真っ暗になります。
Q.優秀な東大生たちなのに?
そうです。特に男の子。
でも、私はそんな男の子たちにちゃんとフォローしてあげます。
どうやってフォローすると思う?
東さんも、親ならわかる?
Q.でも私は東大に入れられない親ですから……。
「日本には『子は3歳までに親の恩を返す』ということわざがあるから大丈夫」と言います。
「あなたは3歳までの間に、天使のような笑顔で親に負債を返したんだから、これ以上の負債はないよ!」って。
そうすると学生たちの顔が明るくなるの(笑)。
Q.ある意味、素直ですよね。
そうなんです。素直で、マジメで、健気です。親の期待に応えようと、健気に頑張ってきた子たち。
でも、健気に頑張ってそれができちゃう子と、できない子がいる。
〈競争社会に勝ち残る!〉と親が期待しても、それに応えられる子どもと、応えられない子どもがいます。
私が優等生を預かってきてつくづく思うのは、優等生のつらさ。私自身も優等生だったから。
優等生って、自分が嫌いなことでも、平均点以上取れてしまう子どもたちなんです。
Q.できちゃうんですよね。
優等生は嫌いなことでもパフォーマンスできちゃうんです。
優等生じゃない子は、好きなことには前のめりだけれど、嫌いなことをやろうとすると固まったり、不登校になったりします。自分に正直です。
でも、嫌いなことでもそこそこできちゃう優等生に、「あなたが本当に好きなことは何?」と聞いたら答えられないんです。
どっちが幸せ? と思いませんか?
Q.夢中になれることがないのはツラいですよね。
夢中になれることがなくてもいいんです。イヤなことをやらずにすめば。
何も頑張らなくても生きていける、という選択肢だってありますから。
条件付きの愛を与えて、親の期待で金と地位という尺度へ子どもを誘導するなんて、子どもが可哀想だと思いませんか?
Q.親は子どもに期待しすぎですか?
親は期待するものなのかもしれませんが、親がそれ以外の人生を知らないからでしょう。
親の人生が狭すぎるんだと思います。世の中にはいろんな人がいて、いろんな生き方があって、多様な人生と多様な幸福があるのに。
Q.もともと親に選択肢がいっぱいあったら、子どもにもいろいろと教えられる?
子育てがうまくいってると私が感じる親たちは、よその大人に子どもを預けて送り出しています。あるいは旅をさせています。外国を連れ回したり。
夏休みの間に、北海道の農場に預けたり、他人の家庭に住まわせていたりします。
可愛い子には旅をさせろ、ですね。
Q.ホームステイさせたり?
そうです。こんな生き方や暮らし方があるんだと感じさせる。
親ひとりが実際に示せる選択肢なんて、大したことありません。
自分ひとりの手で育てようなんて思わないで、いろんな大人の間を連れ回して、いろんな世界を子どもに見せたらいい。
親がすべての選択肢を示せるわけじゃないんです。
そのためには、親が自分の選択肢を少なくとも相対化できないといけない。
選択肢はひとつじゃない、ということをわかっておかなければ。
ヤマザキマリさんの『ムスコ物語』(幻冬舎、2021年)を読んで感心しました。
親はどんな親でも子どもにとっては理不尽なものです。本書の最後に息子さんの文章があります。
「息子にとってこの世で誰よりも理不尽でありながらも、お人好しなほど優しい人間である母ヤマザキマリ。そんな母のおかげで国境のない生き方を身につけられた私は、おかげさまでこれから先も、たったひとりきりになったとしても、世界の何処であろうと生きていけるだろう。」
親業はいつか卒業するもの。「今まで育ててくれてありがとう。明日からあなたは要りません」と言ってもらうのが親の役目。ヤマザキさんはすばらしい子育てをなさいましたね。
取材/東 理恵
上野千鶴子
1948年富山県生まれ。社会学者。京都大学大学院修了、東京大学名誉教授。東大退職後、現在、認定NPOウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長として活動中。2019年東大入学式での祝辞が大きな話題に。『おひとりさまの老後』や『在宅ひとり死のススメ』など著書多数。
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