【パラリンピック出場】全盲の陸上選手・高田千明さんを奮い立たせた家族の言葉

VERYで掲載中の人気連載企画「家族のコトバ」。昨年パラリンピック延期が決まった直後に取材を行い、2020年VERY6・7月合併号にて掲載していた高田千明さんのインタビュー内容を、パラリンピック開催を前にWEBにて再掲載します。

※以下掲載中の情報は2020年VERY6・7月合併号「連載・家族のコトバ」誌面掲載時点のものです。

全盲の陸上選手、高田千明さん。障害がありながらの子育て、そして東京2020メダル獲得の目標。いつも彼女を奮い立たせる陰には家族のコトバがありました。

■ Profile

高田千明(たかだちあき)さん

1984年、東京都生まれ。1児のママ。パラ陸上・走り幅跳びの日本記録保持者。ほけんの窓口グループ所属。先天性の目の病で視力を失うが、陸上と出合い、リオ・パラリンピックの走り幅跳びに初出場。東京2020にも出場内定。夫の裕士さんも、聴覚障害者の陸上400mハードル選手。

二人の会話は、夫は私の手話と唇の動きを読み取り、私は夫の発語を聞き取ります。

■ 夫のコトバ

「(もう一度パラを目指さず後悔するより)やって後悔する方がいいと思う」

いずれ全盲になる目の病気、先天性の「黄斑変性」と診断されたのは5歳のとき。カルタで遊ぶ私の視線がおかしいと、父が気づきました。その頃は視野の真ん中が見えず、まわりがぼんやりと見える状態。両親は自分たちを責めたこともあったようですが、私自身はこの視野が私の知っている視野だったから、「これが普通だよ〜」と悲観はありませんでした。

中学から盲学校に通い、持ち前の足の速さを生かして、障害者の陸上大会に。高1からは国体にも出場。本格的に陸上を始めたのは社会人になってからでした。出場した大会で、ある全盲の選手に私のタイムを話すと「何も練習していないのにそのタイムなら、ちゃんと練習したらパラリンピック行けるよ!」と。専門学校を卒業し、企業に就職。今後どのように競技を続けていくか模索していた時期でした。その方が所属しているクラブチームを紹介してもらい、そのチームで出会ったのが、その後の私の競技者人生を大きく変える大森盛一コーチ。初めて〝パラリンピック〞という存在を知りました。21歳の頃でした。

夫は聴覚障害のアスリート
長男を出産。全盲での育児

母は、「親は先に死ぬんだからね! 一人で生きていけるように、よく見なさい! よく考えなさい!」と甘えは許さず、何でも自分で。例えば「○○を取って」と頼んでも、棚の何段目の右と説明するだけ。自分で説明を記憶して探して取ってきなさいと。視力が残っているうちに多くの記憶と思い出を残せるようにと色々なところに連れて行ってくれました。

のちに夫となる裕士と出会ったのも21歳の頃。3回目の国体でした。夫は先天性の聴覚障害がある400mハードルの選手です。私とは真逆の、聴覚障害者の音はないけれど見えている世界、生活、感じていることを知りたくて、手話を習いたいと話したところ、紹介された人でした。夫も、小さい頃からお母さんのスパルタ教育を受け、そのおかげで発語がきれい。彼の声での説明と、手の形に触れながら手話を覚えました。

自然に始まったお付き合いですが、夫といると新鮮な発見がたくさんありました。道を一緒に歩いていると、夫が新しいお店ができていると教えてくれる。後ろから車が近づいてくると私が音でわかるから教えてあげられる。私たちは二人いれば補い合える。その感覚が心地よかったのを覚えています。

23歳のときに妊娠がわかりました。が、まさかの双方の両親がともに大反対。万が一生まれてくる子どもにも障害があったら二人でどう育てるんだ?と。それは、きっと障害のある子を育てる苦労や心配を誰よりも知っているからこそ、同じ思いを娘や息子にさせたくないという気持ちだったのだと思います。でも当時は、障害の有無に関係なく一人の人間として生きていく自信を、私たちに与えてくれた両親たちからそんな言葉が出てくるなんて!と衝撃しかありませんでした。

半ば押し切る形で、入籍、出産。男の子が誕生しました。反対しつつも父は、「本当に困って助けを求めてきたら、見放すような家族じゃないよ」と言ってくれました。だからこそ、意地を貫けました。私は何においても、やれるところまでやって、ダメなら頼ろう、というマインド。まずは両親の手助けを受けながら育児がスタート。お風呂入れなど視覚が必要なことは夫が覚えました。

最初は何でも健常のママと同じようにやってみますが、どうしたって目は見えないのだから、やれる方法を見つければいい。そう気持ちを切り替えました。

例えば、オムツ替えのとき、ウンチが残ったらかわいそうと念入りにゴシゴシ 拭いていたのですが、帰宅した夫が「赤ちゃんのお尻が真っ赤っか!」と(笑)。それからは、触って汚れを感じない程度に拭いて、ヘルパーさんや夫が戻ってきたらちゃんと拭いてもらう。ミルクは、キューブ型の存在を妹が教えてくれました。やかんから注ぐのは難しいからウォーターサーバーを購入することに。キューブは何個、お湯と水は何秒くらいと感覚で覚えて作るのですが、多少湯水の分量が違っても、摂れる栄養は同じだから大丈夫!と(笑)。

私も夫も子どもが大好きなので、きょうだいをつくってあげたいですが、それは東京2020後ですね。

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■ 息子のコトバ

「ママ、東京で絶対金メダル取って」

外でママとベッタリはちょっぴり恥ずかしい年頃に。でも私に腕を貸してくれることは彼にとって当たり前のこと。

走り幅跳びに転向後、
念願のリオ・パラに初出場

大森さんの下で厳しいトレーニングを積み、陸上100、200m走で、北京、ロンドンのパラリンピックを目指しましたが、国内トップクラスでも世界のレベルは高く、手が届きませんでした。

息子ももう4歳。両親に預けることも多く、「ママ、行かないでー」と泣かれることもしばしば。子育てしながらパラリンピックを目指すのは正直辛く、引退も考えました。でも夫は「自分がやり切ったと思えるかじゃないの?」と。さらに「確かにまた4年間苦しい思いをしてもパラに出られる保証はない。やっぱりやめておけばよかったと思うかもしれない。でも挑戦しないで、自分もここにいたかもしれないと後悔しても、アスリートとしての年齢、体力はもう戻ってこないんだよ。僕はやって後悔する方がいいと思う」と。競技者同士らしいコトバでした。 子どもを理由にやめるのはちょっと違う。私もそう思いました。

海外に行ける!くらいの気軽なノリで目指し始めたパラリンピックが、その頃には、私にとってもの凄く大きな存在となり、何がなんでも出場したい。その可能性をかけたのが、短距離走から、トップ選手の記録が拮抗する走り幅跳びへの種目変更でした。

しかし、私、視力を失う前に走り幅跳び自体を見たことがなく、元短距離選手の大森さんも、やったことも教えたこともない。無謀だと反対されて当然ですが、何度も説得して、ようやく本気が認められ、二人三脚の練習が始まりました。大森さんも相当研究してくれました。伴走者なし、一人でトップスピードで走るのも未知。踏み切りエリアもどこにあるかわからない。暗闇のなかに飛び出すのも恐怖。ひたすら、走って跳ぶことを確立した死に物狂いの4年間でした。その成果が出て、2016年リオへの切符を摑みました。決まったときは両親は電話で泣いていました。リオでは決勝に進出、日本新記録で8位入賞。

初めて出場したパラリンピック。満足よりも、湧き出てきたのは、もっとできる。あと50cm伸びれば金メダルだって夢じゃないんだ、という自信。

そこで、走り幅跳びの日本記録保持者、井村久美子さんにも指導を仰ぐことに。井村さんが私に最初に指示したのは、踏み切りで棒になり、空中で大きく手をかいて〝折り畳み携帯〞の姿勢になって、そのまま着地。目で見ればすぐわかるであろう体の使い方も、まるでパラパラ漫画の1コマ1コマを井村コーチの体を触らせてもらって、覚え込んで1つずつクリアしていくような地道な作業でした。ようやく一連のフォームができたら、またそれをより高度で緻密にブラッシュアップするような作業を、1年ごとに繰り返しました。そして昨秋のドバイ世界選手権。日本新記録で4位。いよいよ世界のメダルが見えてきました。

見たことがなかった走り幅跳び。“折り畳み携帯”の形と教えてもらいました。

■ 妹たちのコトバ

「お姉ちゃんは、有言実行の人」

 

京2020延期も
既に前を向いて再始動

出場内定をいただいていた東京パラの延期が決定。「仕方ない」という気持ちと、2020にすべての照準を合わせてきた分、心が砕け散る想いでしたが、内定も維持されることが決まり、11歳になった息子の「ママ、東京で絶対金メダル取って。ずっと応援しているから」というコトバに救われながら、今は、来年を目指せるようになってきました。

それぞれママになり、ますます仲の良さが増している2人の妹たちは、なかなか私を褒めてくれないのですが、「言ったこと叶えちゃうって、実はすごい人だ」と姉妹らしいコトバをくれ、私の競技生活を見守ってくれています。

夫も2021ブラジルデフリンピックでメダル獲得を目指していますが(※パラリンピックにろう者の競技はなく、デフリンピックという世界大会が4年に一度開催される)、奇しくも東京パラが同年開催の可能性が。息子に金メダルを先にかけてあげるのは私だ! いや俺だ! ライバルとして刺激し合っています(笑)。

[右]次女 晴美[左]三女 正代 それぞれ4人、3人の子どもがいるママ。

高田さんのHistory

1. 東京で3姉妹の長女として誕生。三女にも同じ目の障害があります。
2. コーチ大森盛一さんとの出会いが私の競技人生を変えました。大森さんはバルセロナ、アトランタ五輪に出場した元日本代表。
3. 夫・裕士とは約2年の交際を経て2008年結婚。
4. 長男を出産。両家の親たちに大反対されるものの、初孫を抱いた途端に皆メロメロ。
5. リオのパラリンピックに初出場。夫と息子も現地応援に駆け付けてくれる予定が、悪天候と機材トラブルのダブルアクシデントで、なんと私の競技に間に合わず……。
6. 最近は講演に呼んでいただく機会も。これは三重県の小中学校を訪れたときに、生徒さんからいただいた千羽鶴。

 

撮影/吉澤健太  ヘア・メーク/サユリ〈nude.〉  取材・文/嶺村真由子  編集/磯野文子

※掲載中の情報は2020年VERY6・7月合併号「連載・家族のコトバ」誌面掲載時点のものです。

 

■高田千明選手の出場種目スケジュール■

「陸上 女子走幅跳 T11」
2021年8月27日(金) 9:30 – 12:50

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