「3.11の中継場所は、年々被害がわかりやすい場所へと移動していくんです」ドキュメンタリー監督・笠井千晶さんが見続けた10年
東日本大震災、あの日から10年――
STORY4月号「私たちのCHALLENGE STORY」では、毎年震災について取り上げてきましたが、今年のテーマは「“福島”を見続けてきた語り部たちの10年」です。
私がお話を伺ったのは、ドキュメンタリー監督・ジャーナリストの笠井千晶さん。
震災後“自分ができることを、被災した人のために”という思いから、当時報道記者として中京テレビで働いていた笠井さんは、「プライベートでも映像を記録し、誰かに見てもらうことで被災地とほかの地域を繋げたい」と考えるように。2011年夏、名古屋から夜行バスに乗り、片道13時間以上かけて福島へ通い始めました。
それから程なくして、南相馬市・萱浜地区で出会った上野敬幸さん。震災前は、ご両親・奥様・8歳と3歳のお子さんと6人で暮らしていましたが、自宅が津波に襲われご両親と2人のお子さんが巻き込まれました。
上野さんご一家に寄り添い続けてきた笠井さんのお話は、4月号の誌面に掲載させていただきましたが、実は書ききれなかったお話もたくさんありました。WEBでは、笠井さんが見てきた「メディア報道と現地の方の想い」について、お伝えしたいと思います。
――10年寄り添うこととなり、映画の主人公にもなった上野敬幸さん。出会いは衝撃的だったとお聞きしました。
ビデオカメラを片手に海岸にいると、突然背後からものすごい怒鳴り声が聞こえて……。はっと振り返って、そこにいたのが上野さんです。この地域で、唯一上野さんの家だけが被災した状態で形がわかるように残っていたので、配慮のないマスコミや野次馬のように写真撮影に来る人を、繰り返し怒鳴り追い返していたそうです。
だから、明らかに家庭用のものではないビデオカメラを持った私に「マスコミなんだろう!どこのテレビだ?何しに来たんだ!」って
――1人でいるときに突然怒鳴られたら、私なら怖くて逃げてしまうかもしれません。
そうですよね。普通だったら逃げ帰って、もう二度と行かないと思うんですけど、私は報道記者という仕事柄なのか、「多分この人は、本当はすごく言いたいことがあるんだろう」というのは直感的に思いました。
「申し訳ない」と伝えながら、心の中では冷静に“またどこかで会える機会があれば、本当は何があったのか、言いたいことがあるのなら聞きたい”と思う自分もいる……。まさか本当に再会できてお話が聞けるなんて、そのときには想像もできませんでした。
――外部の人を追い払っていたほどの上野さんが、“それでも話したい”と思うことって、どんなことだったのでしょうか?
「真実」ではないかと思います。メディアによる震災の報道が、自分たちの地域の現実とはかけ離れているため、自ら話す必要性を感じたのではないでしょうか。
行方不明者の捜索に関していえば、当時、宮城や岩手では自衛隊が捜索する様子がテレビで流れていましたが、放射能のリスクから萱浜地区に来てくれたのは、GW付近に2週間程度だったそうです。国やボランティアなどの応援がないなか、家族自らが行方不明者の捜索を懸命に行っていた地域があったことを、いったいどのくらいの方が知っていたでしょうか。
――テレビで自衛隊の方が捜索する様子を見たら、それがすべてのように感じてしまうかもしれません……。メディアが伝える内容を見て、笠井さん自身は何か思われることはありましたか?
震災の翌年から、3月11日は毎年東北にいるため、3月11日にじっくりテレビの前にいるということはないんですけど、上野さんの家にお邪魔しているときテレビがついていると見ることはあります。思うのは、現地の人は報道される内容を冷めた目で見ている人も少なくないということです。
2月くらいになると、露骨に取材は増えていきます。「あー、今年もまた増えてきたな」とか、「そのためだけなら取材はやめてくれ」と言っている人も見かけます。当然、震災が起きたこの時期に関心が集まるというのはありますが、“ほかのときには必要ないけれど、今だけはほしい”というところが透けて見えてしまうと、やはり現地の方はすごく冷めた目になってしまいます。
何年目くらいだったか忘れてしまいましたが、目に見えて津波で被災したことがわかる場所って、年々整備が進み減っていくため、被害がわかる場所を求めてマスコミ各社は移動していくんです。画としてそういう場所を見せたいのかもしれないですが、地元目線で見ると「まだ被災地は大変です」とか「こんなに頑張っています」など、思い描くストーリーありきの放送内容に思えてしまうんです。
――現地の方はどういうところを伝えてほしいと思っているのでしょうか?
一人一人違うと思いますので、きちんとその人の話に耳を傾けてもらったうえで、その事実を伝えるということが最低限必要なことかと思います。きちんと伝えてくれるのであれば、協力したいと思ってくれるはずです。
――今年は震災から10年経ちました。10年という年月に関してはどう思われますか?
「10」という数字として区切りがいいということはわかるのですが、当事者の方や被災した方にとって、ちょうど10年目の日と、10年と1日経った日では何も変わらない。何も変わらない時間の連続の中の、数字の区切りをもって「区切りですね」とか「節目ですね」といったことを言われると、「そうじゃない」って言い返してしまいそうになると思うので、私自身は“10年経ったから何”ということはあまり思いません。
――笠井さんとしては、これからもこれまでどおり寄り添っていきたいとお考えですか?
そうですね。変わらないでいたいというのが、いちばんの望みです。上野さんの貴重なお話を記録しておかなければいけないと思い、カメラを回し始めましたが、もともと映画をつくるために福島へ通っていたわけでも撮っていたわけでもありません。
今も月に1、2度、皆さんの顔を見に行って、震災の年に生まれた倖吏生(さりい)ちゃんが相手をしてくれれば一緒に遊んだり、成長の記録としてカメラを回したり、上野さんと「最近どうですか?」っていう話をしたりしています。
倖吏生ちゃんが成人するまでは見届けたいなぁ……そのときが来たら、きっと嬉しくて泣いちゃうかもしれませんね。
第5回山本美香記念国際ジャーナリスト賞も受賞した笠井千晶さん制作の映画『Life 生きてゆく』が2021年3月11日・12日に東京・千代田区の神保町シアターにて上映されます。
私も観させていただきましたが、知らない真実がまだたくさんあるということに気付かされ、そして上野さん一家の姿から生きる意味を考えさせられました。あらためて「知ること」で、忘れないようにしようと思うことも、誰かに伝えることもできます。都内・東京近郊の方は、是非ご覧になってみてください。
映画『Life 生きてゆく』
▼日時/3月11日(木)&12日(金)
・11日(①11時半〜、②14時〜、③16時半〜)
・12日(①13時〜、②15時半〜、③18時〜)
※ 各日とも1日3回上映
▼場所/神保町シアター(住所:千代田区神田神保町1−23/最寄駅:地下鉄神保町駅A7出口 徒歩3分)
▼入場料/一般1,300円、シニア1,100円、学生900円
▼問合せ/TEL:03−5281−5132
撮影/BOCO 取材/篠原亜由美