甲状腺がんからサバイブ。四柱推命鑑定士・永谷紗和梨さんのがん闘病記
いつ誰のもとに訪れるかもわからないがん。もしなってしまったら?ならないためにできることは?甲状腺がんを患った四柱推命鑑定士の永谷紗和梨さんはずっと多忙を極めていました。がんを患って変わったことは、自分を大切にするということ。闘病のお話を伺いました。
がんが見つかったときに最初に思ったのは「これで仕事が休める」でした
20代で起業した婚礼美容事業で敏腕経営者として多忙な日々を送る傍ら2度の結婚と2度の離婚を経験。現在のパートナーとは世界中を旅してワインを楽しむことを計画中。「がんになった私の経験と、占いの統計学や運命学の四柱推命や気学をベースにして、ご縁ある方たちの道標になり、開運に導く鑑定士を目標に生きています。」
責任感と使命感でいっぱい自分は置き去りにしたまま
20代で始めた婚礼美容事業が急成長したころから激務の日々が始まり、毎晩の会食接待、食生活も適当。子供の教育、社員の生活など、ひとりでいろいろなものを抱えていました。40歳になり大阪のOCAT予防医療センターでPETがん検診をしたところ、右甲状腺に腫瘍マーカーがつきました(9mm)。がんが見つかって最初に浮かんだ思いは「これで仕事が休める」でした。当時は、仕事に追われてかなり病んでいたのかもしれません。手術をしたのは仕事の調整や整理をしてから。がん発覚から1年後でした。
婚礼美容サービスとスクール事業が成長し株式会社の社長に就任。休みなく仕事に没頭していたころ。今の2倍、3倍は生き急いでいたように思います。
またがんになるかもだからやりたいことをする
入院中から、声を出すリハビリを始めましたが退院後もしばらくは長時間の会話はできませんでした。唾が飲み込みにくいし、ご飯も食べにくくて、どんどん痩せていき、さらに更年期症状が強く出てしまったときは辛かったです。今でも喉のつっぱり感はありますし、再発は常に気になっています。手術後は2年ほど仕事を休みました。お花を習ったり、海外旅行に行ったりするうちに、自分らしさを取り戻せた気がします。人目を気にせずやりたいことをやる。自分が喜ぶことをすると、周りも幸せにできると思うようになりました。がんになって生き方を変える流れになったのは、何か役目を与えられたのではと考えています。
自分優先、自分を大切にすると決めてから、どんなに忙しくても家族との時間を楽しむ余裕をもつようにしています。2人の共通の趣味は旅行。今は国内各地に出かけています。
ヨーロッパで出合ったアーティフィシャルフラワーに魅せられてサロンとスクールを経営していたことも。がんになるまでまったく運動音痴だったので、今は体を動かすように。
サバイブ後、健康のために気をつけていること
☑︎ 自分優先。自分を大事にする
☑︎ 家族との時間を楽しむ余裕をもつ
☑︎ がんになるまで一切していなかったので、運動をするように
☑︎ バランスいい食事を心がける
《永谷紗和梨さん 闘病ヒストリー》 2007年 38歳 この頃から、ひどい冷え性と喉の違和感があった。 2009年 40歳 6月 ふとしたきっかけで行った人間ドックのPET検査で甲状腺に腫瘍マーカーがつく。がん検診センターから紹介された病院で精密検査をするも、「はっきり悪性とは言い切れないため半年後に再検査」と言われる。 7月 恩師からセカンドオピニオンを勧められ、甲状腺がん治療で有名な病院で再検査。その日に悪性腫瘍と告げられる。仕事が多忙すぎて、手術を1年後にすることに。 2010年 41歳 8月 甲状腺摘出手術。1週間で退院後、自宅療養。ホルモン補充剤の服用を始める。以降、半年ごとに検診。反対側の甲状腺も肥大していることが発覚するが、今のところ良性のため、経過観察。 2020年 51歳 9月 半年ごとだった検診が1年に1回となる。ホルモン補充剤もやめる。
2021年『美ST』2月号掲載 撮影/吉澤健太、平林直己、楠 聖子、奥山栄樹 ヘア・メーク/小澤実和、川岸ゆかり 取材/楠沢順子、菊池真理子、浦﨑かおり 構成/佐久間朋子