泉ピン子さんからのメッセージ「誰のためでもなく、自分のために好きに生きれば悔いはない」<前編>
ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の町中華の女将のイメージが強い泉ピン子さんですが、ドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」では、すべて自前のシャネルの洋服で撮影に臨んだほどのファッション好き。美容に関しても、「化粧品はとにかく一番高いものを買う」がポリシー。そんなピン子さんの73歳とは思えないパワーが炸裂。
銀座で生まれ育った泉ピン子さん。子供の頃、記念日には資生堂パーラーでカニクリームコロッケを食べるのが楽しみで、今も行きつけ。シャネルのジャケットに、シャネルが初めてファインジュエリーを発表したときにパリで購入したブローチをつけ、新色グレーのバーキンを携えた銀座マダム、ピン子さんにお話を伺いました。
「あれが欲しい、これが欲しい」と欲があることが生きている証し。私から買物を取ったら生きがいを失ったも同然
2019年秋、平成30年度文化庁長官表彰に選ばれ、旭日小綬章をいただきました。勲章をいただけるなんて思ってもみなかったから、嬉しかったね。本当に何もかもに感謝しています。 勲章をもらったからといって、誰もさ、何もくれないしさ、私ね、自分へのご褒美として、今年の1月にカルティエのダイヤの時計を買ったのよ。これがまた美しい時計でステキなの。なのにさ、その直後に世の中がコロナ禍になって、どこにも出かけられなくなって、仕事もすべてキャンセルよ。収入がなくなって、これからは現金が必要だって思うじゃないですか。だから、せっかく買った時計を売ろうと思って、買取専門店に持って行ったら、580万円で購入したのに、なんと180万円って言うじゃないの。やだー、やなこった!じゃあ、持ってるわって思い直したけど、いまだに一度もつけてないわよ(笑)。だから今回の企画ありがたかったわ。初披露よ。
ビルもなければ貯金もなし。今食べていければそれでいい
ファッション大好き。世界中の洋服は着尽くしてるの。〝シャネラー”なんて言われたけど、シャネルだけじゃない。エルメスも着た着た。ジル・サンダーなんて、私が着始めた頃は誰も知らなくて、店の間口なんてホントに小さかったわよ。でも大好きだったわね。モンクレールも赤ラベルの時代からだし、ヴェルサーチなんて、最初に日本に入れたのは私(笑)。当時、東京プリンスホテルに「ピサ」って言うブティックがあって、オーナーに「ヴェルサーチを入れてくれない?」ってお願いしたのが始まりなんだから。ラクロワもずいぶん買った。帯みたいな刺繍が施された分厚いジャケットとスカートなんか。アルマーニも大好き。ミラノで入るサイズがあったら全部買ったわね。あの頃はジョルジョ・ピンチャマーニって勝手に呼んでいたくらい。 最近はルイ・ヴィトンが多いかな。着やすいの。本当だったら仕事も減って、お金も入ってこないから、買っちゃいけないの。でも、先日もバッグとジャケットと靴2足買いました。 もう病気ね。性格って直らない。私から買物を取ったら、生きがいを失ったのと同じ。今回のコロナで、パリやイタリアがロックダウンして、お店が閉まっているのをテレビで見たとき、「このまま閉まってくれたら生涯買わなくて済む」と本気で思いました。 クローゼットには着てない洋服が山ほどあって、見て楽しむタイプでもないし、家では基本パジャマ。だから、終活に向けて断捨離したんです。着物は娘のように可愛がってる坂本冬美ちゃんにすべてもらっていただき、それ以外は洋服が好きな知人に引き取ってもらいました。すると物が半分以下になって、残ったものはバーキンと使いやすいものばかり。 たぶん私、今までに60億円くらい稼いだと思うの。それ全部バッグや服に使っちゃった。みんなから、「ビルがいくつ買えた?」って言われるけど、ビルも持ってなきゃ、貯金もなし。でも一回きりしかない人生で、着たい洋服着て、好きなジュエリーつけて、好きなバッグ持って、食べたいものを食べた。誰のために生きるのでなく、自分のために生きるのだから、私は自分の人生悔いないね。ビル背負って死ねないじゃない?そうでしょ?どっちが幸せって言えないけど、今食べていければそれでいいと思っているんだ。
あまりに多忙すぎて人生に疲れた41歳で結婚
銀座四丁目4番地で生まれ育った生粋の江戸っ子。父は浪曲師だったけど、母が2歳のときに亡くなって、同じく浪曲師の継母に育てられたの。私は母に生き写しだったせいか、継母から可愛がられた記憶がない。大嫌いだったわね。10歳くらいのときかな、近所に住む叔母の家に遊びに行ったとき、お風呂場の脱衣所で「小夜(本名)、可哀そうに。こんな汚いシミーズ着せられて」って言われたの。子供ながらにショックだった。それがのちのち、ラ・ペルラに私を走らせたの。下着を買いまくって、海外から帰国するときに税関で「下着屋さんをやるんですか?」と言われたくらい(笑)。 家を出たくて18歳で漫談家デビュー。両親に頼らず、家賃8千円のアパート暮らしで、全然売れなくて貧乏だった。でもがむしゃらに頑張って、20代後半にチャンスが巡ってきました。それが一世を風靡した「テレビ三面記事 ウィークエンダー」のレポーター。下品だって抗議も殺到したけど、視聴率40%を稼いで、1年後には女優の仕事をいただいたんです。そこからは後の代表作になるNHK大河ドラマ「おんな太閤記」、連続テレビ小説「おしん」とつながっていったの。その頃かな、親友で女優のいしだあゆみさんに「エルメス欲しい」って何げなく言うと、「パリで買ったら安いわよ」って。何言ってんの、あんたは「ブルー・ライト・ヨコハマ」で売れて順調だから、いくらでもパリに行けるだろうけど、私は売れ始めたばっかりなんだって。「待ってろよ、パリ。必ず行くからね」って、悔しさをばねにして頑張れた。いじめられたり、バカにされたりもしたわよ。でも悔しかったから頑張ったの。それからは出るドラマがすべて当たって、CMもたくさん出させていただき、30代はパリやミラノで買物三昧。高いギャラをいただけるようになり、テレビに出させていただく以上、ギャラの半分以上は洋服や靴に費やさないと失礼だという気持ちもありました。
泉ピン子さんの美の秘密①
ひと目で気に入ったベニュワール アロンジェ ウォッチ。ホワイトゴールドとダイヤのマリアージュがなんてエレガント! コロナの影響で、まだ一度もつけていないとか。
泉ピン子さんの美の秘密②
坂本冬美さんからエルメスのスロー、北川景子さんからシャネルのストール、吉田鋼太郎さん夫妻からエルメスのスカーフ、初主演時に森 光子さんから珊瑚のジュエリーを。
●Profile ’47年東京都生まれ。18歳で歌謡漫談家としてデビュー。’75年より「ウィークエンダー」(日本テレビ系)でレポーターを務めて人気を集める。以降、数多くのドラマで女優として活躍。連続テレビ小説「おしん」(NHK)、主演した「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)は30年続く大ヒットドラマに。現在は夫と愛犬とともに熱海で暮らす。来年明治座で行われる「坂本冬美芸能生活35周年記念公演」(2/26〜3/15)に友情出演予定。
後編へつづく 2021年『美ST』2月号掲載 撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/国府田 圭 スタイリスト/森外玖水子 取材/安田真里 構成/和田紀子