現在ママ2年生、“不妊治療から特別養子縁組で息子を迎えるまで”

2018年VERY10月号の人気連載「家族のコトバ」に登場いただいた不妊ピアカウンセラーの池田麻里奈さん。30歳から10年以上にわたり不妊治療に取り組み、人工授精・体外受精、二度の流産と死産を経験。子宮腺筋症のため子宮全摘し、夫婦二人の人生を歩む決意までの様々な思いを語ってくれました。

2年が経った今年の9月、編集部に一冊の本とメールが麻里奈さんから届きました。そこには「産めないけれど、子どもを育てたい!」という麻里奈さんの強い意志のもと、特別養子縁組で生後5日の男の子を迎えたというニュースと、ドキドキハラハラの育児が綴られていました。

海辺の家は前回の取材と違って、赤ちゃんの成長を写した家族写真、あふれるおもちゃ、玄関先の小さなスニーカーや子ども用のリュックなど、一目で小さな子がいる家庭だと分かります。

生後6カ月。元気いっぱいの姿に私たちも笑顔に。(撮影/せきとかおり)
1歳4カ月。ご飯もたくさん食べる元気な息子です! 『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)より。撮影/回里純子
生後1カ月で4,000gに成長。

特別養子縁組で、生後5日の男の子の親になりました!

お久しぶりです。2017年、子宮腺筋症で子宮全摘手術を受けたことで、10年に及ぶ不妊治療に終止符を打ちました。VERY「家族のコトバ」の取材を受けた頃から特別養子縁組について夫婦で話し合いを重ね、民間の養子縁組あっせん団体の説明会や研修を受け、養親候補としての審査ののち「待機」に入りました。

しばらくして、「あと数日で生まれる予定の赤ちゃんがいる。性別も健康状態も分からないが、委託可能か、明日の朝までに返事をください」との電話が。それから6日後に、生後5日の赤ちゃんが我が家にやってきたのが昨年の1月のこと。現在息子は1歳8カ月、保育園に通っています。

急な展開だったので、「わあ!可愛い!!小さい~!!やっとママになったんだ!」という感動と、「命のバトンを渡されたからには、責任をもって守っていこう」という決意とが一度に押し寄せて来て、それからはとにかく目の前の命を育てることに懸命で、気づいたらママ2年生になっていました。

「特別養子縁組」で息子を迎えたことを実名で公表し、本も上梓したのは、少子化・不妊・家族の多様性などのワードがニュースで頻繁に報じられる一方で、日本ではまだ養子を迎えた家族の真の姿が知られていないと感じてきたので、少しでも私たちのような家族を知る手がかりとなれば、との思いからです。

 

お宮参りでは、健やかな成長を家族で願いました。(撮影/せきとかおり)

 

「特別養子縁組」とは?

 「産めない」現実を突きつけられたとき、私の心によぎったのが不妊治療中に知った「養子を迎える」という選択。当時は私たち二人の面影を宿す実子の妊娠に希望を持っていたので、現実問題として考えられなかったのですが、子宮全摘手術を終えた病室で夫に、「養子を考えてほしい」と打ち明けました。彼にも多くの葛藤があったはずですが、私の想いを受け止めてくれました。その後は二人で実際に養子を迎えた家族の話を聞いたり、あっせん団体を探したり、積極的に動きました。

 

――全国で親が育てられない子どもは約4万5,000人、そのうち児童養護施設、乳児院などの施設で養育されている子どもは約85%、里親またはファミリーホームなどで暮らしている子どもは約15%です(平成29年3月末/福祉行政報告例)。

施設で暮らす子どものうち約18%は、親が迎えに来ず、交流がないということです(平成25年2月児童養護施設入所児童等調査)。

特別養子縁組とは、「社会的養護が必要な子どもに永続的な家庭環境を提供する制度」。実子と同様に法的な親子関係があり、戸籍は「長男」と記載され、親権は「養親」である育ての親にあります。里親には養育費が支給されますが、特別養子縁組には金銭の支給はありません。

 

養子という選択を考えてからの私は、国内外の情報を集め、調べ始めました。欧米諸国では、施設での集団養育が子どもたちに与える影響を考慮し、家庭での養育に移行しており、この分野で日本は30年ほども遅れているそうです。新生児はもちろん小さい子は、集団養育ではなく家庭のぬくもりの中で、養育者と一対一の安心できる関わりの中で育てられることが子どもの最善の幸せだと、国連の子どもの権利条約で定められています。

 

養親となるには研修、審査、登録、マッチング、委託、家裁への申し立てというステップを経て、実子となります。私たちのように、待機してから数週間で、生まれてすぐの赤ちゃんと出会えるケースもあれば、数年待ってもっと年齢が上の子どもを迎えることもあります。

子どもを育てられないけれど養子や里子に出さず、施設に入れたいという実親さんも多く、また希望しても審査を通らなければ、養親になることはできません。

私たちのように「産めないけれど、育てたい」という状況の人が養子を希望するケースがほとんどですが、この制度はあくまでも子どもの福祉を第一に考えるべきで、永続的にその子の養育ができるか、さまざまな角度であっせん団体から審査をされます。

私たちはコンセプトに共感できた民間のあっせん団体に登録しましたが、これもご縁だと感じています。

 

「血の繋がらない子を愛せるか?」問題

「養子」と聞いて誰もがきっと思い浮かべるのが「血縁のない子どもを実子同様に愛せるのか?」ということでしょう。

息子は紛れもなく私たちの子ども。確かに私のお腹の中で10カ月育て、出産したわけではないし、息子は私たち夫婦の遺伝子を受け継いでいないことは厳然たる事実。

不妊治療を続けたのも、「血の繋がった我が子」が欲しくてのこと。「実子でない子を愛せるのか?」という疑問は、自然なことです。

でも、生後5日のこの子と出会った瞬間、私の中のすべての細胞が「愛おしい!」と感じ、「この子を守らなければ」と本能のスイッチが入りました。それから今日まで、血が繋がっているとかいないとか、感じたり考えたりする時間も必要もなかったというのが正直な感想です。

夫にも「いつからパパになったと思う?」と聞いたことがありますが、「思い出せないなぁ」と。誰かを愛し、ずっと一緒にいたいと思う気持ちに理由や条件はないと言えます。

「養子であることをどこまで告げるかーー真実告知」問題

7カ月で死産した娘の命日には家族でお墓参りに。息子には、養子であることもお姉さんという存在がいたことも、自然な形で伝えています。

 

 

次に考えるのが、養子であることを本人や周囲に伝えるか。もし伝えるならいつか。伝えない場合、どこまで隠し通せるか、という「真実告知」問題でしょう。

私たちは、養子であることを隠さないと、心に決めています。養子は隠さなければいけないことではないし、息子にはすでに赤ちゃんの頃から、「君には実母さんと実父さんがいて、頑張って産んでくれて、それからすぐにママとパパのところに来たんだよ」と語りかけています。

私たちが住んでいる小さな村は、都会では考えられないほど地域の人たちと温かい交流があるので、息子を連れて買い物に出かけると「あれ?赤ちゃんいた?」「妊娠してたっけ?」と声をかけられました。ママ友たちとの会話で、出産や母乳の話題が出ることもあるし、「大きな赤ちゃんだけど、パパの身長が高いの?」と言われることも。

そんなときは「はい、養子を迎えたんですよ」「養子なので、私は産んでないんです」と、答えます。ただ、通りすがりの人に「可愛いわね。似てますね」などと声をかけられたら、「ありがとう」と答え、わざわざ養子であることを伝える必要はないと思っています。

反応はそれぞれですが、「よかったね」と言ってもらえることが多いのが嬉しいですね。「え!変なこと聞いてごめんなさい……」と謝られることもあり、そのような反応は今はまだ仕方ないと思っています。仲良くしているママ友たちに告げたときは「へえ、そうなんだ。よかったね!」とナチュラルに受け入れてくれました。

私たちには「自分の出自を知る権利」があります。それは人が自分に誇りを持って生きていくためのアイデンティティに関わることです。少し前は、養子であることは本人にも周囲にも隠して、養母はお腹に詰め物をして妊婦を装っていたということもあったそうですが、成長し、戸籍で事実を知ったときのショックや、養子という存在自体が隠されねばならないことのように社会が扱うと、自己肯定感が低い人になってしまうでしょう。

 

実母さんの尊い決断から渡された命のバトン

生後10カ月。沖縄旅行へ。

 

息子を生んだ実母さんと実父さんの存在があってこその息子の命であり、人生です。本来なら生んでくれたお母さんと、ずっと一緒に暮らすのが「普通」のこと。この子は産まれる前から養子に出すことを実母さんが選び、生後たった5日で私たちのもとにやってきました。「普通」でない出自という宿命をこんな小さな体で背負った息子の命は、実母さんの尊い決断があったから、私たちに繋いでもらうことができました。

この宿命は変えることができませんが、これからの息子の人生は周囲の人々の関わりでどんな風にも変えていくことができます。

「僕は実の親に捨てられたかわいそうな子」ではなく、「一生懸命産んでくれた産みの親がいて、僕の幸せを願って今の両親に託してくれた」と捉える強く優しい子であってほしいと思います。そのためにも真実告知は大切なのです。

私が利用した当時の特別養子縁組の制度では、養親や養育環境を裁判所と児童相談所が家庭訪問し、さらに養子と6カ月以上の試験養育期間の同居を経て、審判が確定、実母さんの異議申し立てがなければ、晴れて法的にも実子と同じ親子関係になることができます(2020年4月法改正され、実母の同意から2週間以後の撤回は不可となるなど、現在は変更されたところがあります)。

私たちも裁判所での審理の結審後、ここでお伝えすることはできませんが、実母さん、実父さんの事情を知ることができました。実親さんの想いに触れたとき、より一層この命を大切に守っていこうと決めたことは言うまでもありません。

 

「普通であること」に囚われていた私の前半生。命を育むことに「普通」はない

小学生のとき両親が離婚、父子家庭で育った私を周囲は「かわいそう」という目で見ました。以来、私は「普通」の人生を送ることを追い求めてきました。普通に働いて、適齢期に結婚したら、普通に赤ちゃんができて普通に幸せな家族になる……。その普通が叶わずにもがいた私が、普通への自問自答をして、養子という形で息子を迎えて母になったとき、ますます私の中で普通がなくなったのです。

育児にも普通ってないんだな、と思います。誰かと比べるのではなく目の前にいるこの子だけを見ていこう、と思えるようになりました。

生後12カ月。夫婦二人の生活からすっかり息子中心へ。(撮影/せきとかおり)

 

「気持ち」をコトバにできる家族でありたい

息子が歩む人生は平坦ではないでしょう。自分の出自をポジティブに受け取れないときがあるかもしれないし、友達に「養子」と言われることもあるでしょう。悲しいこと、つらかったこと、反省していること……。口にしづらいことでも、言葉にして家族に伝え、SOSが出せる人になってほしい。私たちは息子を見守りながら、日々の言葉がけを大切にしたいと思います。

 

不妊治療をしている家族に考えてほしいこと

今の私は、15歳近くも若いママ友たちに、「本で調べるよりインスタのほうがラクだよ!」と最新の(?)情報を教えてもらったり、夫がリモートワークをするようになって「手伝ってもらえて助かる!」とか、ヤンチャすぎる息子と遊ぶのに疲れたりと、ドタバタだけど笑いの絶えない幸せな時間を過ごしていますが、不妊治療の果てに子宮を失い、普通という呪縛に囚われていたとき、一歩踏み出したことで、この幸せがあります。あの一歩がなかったら、と思うと我ながらよく頑張ったと思います。

不妊大国日本。5.5組に一組の夫婦が不妊に悩む一方で、社会的養護が必要な約4万5,000人の子どものうち、特別養子縁組によって家庭に迎えられる子どもは約1%の年間624件。

特別養子縁組を考える夫婦の多くは私たちのように不妊治療を終わらせた人たちですが、養親の年齢制限を設けている自治体やあっせん団体もあるようです。私のように「産めないけれど、育てたい」となったとき、年齢がネックになることもあるのです。

もし不妊治療をしている方がいたら、選択肢のひとつに「特別養子縁組」を入れることを考えてほしいと思います。一歩踏み出せば、そこから先の景色は変わるはずです。

長い寄り道の末に「子どもを育てたい」という夢がやっと叶いました。息子の命は、実母さんの決断と、7カ月で死産した娘、息子を迎えることに関わってくれたすべての人たちの想いが一つになって、私たちに託されました。

今、改めて思うのは子どもって素晴らしい!可愛い!生きるって尊い!ということ。またご縁があれば、2人目を迎えたいね、と夫と話しています。

池田麻里奈・いけだまりな

不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」主宰。28歳で結婚、30歳から10年以上不妊治療に取り組み、人工授精・体外受精、二度の流産と死産を経験。子宮腺筋症のため子宮全摘。2019年1月、44歳で生後5日の養子を迎える。

『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)

 

取材・文/三尋木志保